2019年10月21日月曜日

妊活の終わり

10月の下旬に、不妊治療でお世話になった病院に、凍結胚の廃棄申請と最後のご挨拶に行ってきました。

不妊治療のため、私がこの病院に初めて訪れたのが2014年の秋。あれからはや5年が経ちました。この間に私たち夫婦は顕微授精に挑戦しました。採卵して顕微受精させた胚を凍結し(凍結胚)、この胚を私の体内に戻す方法で、幸いにも2人の子を授かることができました。

凍結胚は合計6個あり、2人を妊娠・出産するにあたり、3個の胚を体内に戻しました。2人目を出産後、残っていた凍結胚は3個ありました。私がお世話になった病院では、凍結胚は1年ごとに凍結を更新するか、廃棄するかを決めなければなりませんでした。更新するには維持管理料が数万かかるので、深く考えずにに凍結を更新し続けることはできませんでした。

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私の場合、更新月が2人目の出産月の翌月だったので、産科の先生(不妊治療の病院とは別)にこのことを相談してみました。結論は、先生も看護師さんも助産師さんも、満場一致で「とりあえず更新したほうがいい。」でした。理由は以下のとおりです。言われてみて、確かにそうだなと思いました。

  • 産後すぐは、ホルモンの状態が妊娠出産していないときと大きく異なるので、大きな決断をすると、後になって考えが変わって後悔することがあるから

ということで、ひとまず1年は更新し、1年間でどうするかをゆっくり考えて決めることにしました。なお、結論として、産科の先生方のアドバイスは的確でした。時が過ぎるにつれて、私は多角的な考えができるようになっていき、1年で考えは大きく変わりました。

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子育てをしながら、夫と話しながら、私たち夫婦はどうしたいのかを考えていった結果、決断はこの3つに絞られました。
  1. 残った3つの凍結胚を使って、早々に3人目の子どもをもうける
  2. 凍結胚を破棄して、子どもは2人で区切りをつける
  3. 凍結胚を更新し続けて、3-4年後に決断を先送りにする

まず、夫も私も、「3は無い。」という意見で一致しました。理由は以下のとおりです。
  • 私が高齢なので、先送りすればするほど妊娠しない可能性が高く、妊娠したとしても私の身体もしんどい
  • 夫も高齢なので、子どもをもうけるなら早いにこしたことはない

すると、1と2、どちらがにするか決断することになります。そこで、私たちは、1にした場合、2にした場合でそれぞれ思うことを洗い出してみました。話し合う場をもうけると、きちんとした意見にしようとしてしまい、心の深いところの本音に迫れないような気がしたので、場は設けず、ブレインストーミングのように、お互いに普段の生活の中でふと思ったことをメモに書き留めていきました。結果、夫も私も、なんとなく2が現実的だと思っていることが分かりました。ただ、下線を引いた部分で私がひっかかっているので、夫は、なにか腑に落ちるアドバイスができればよいのだけれど、と言っていました。

<1にした場合>
〇夫が思うこと
  • 1度目の出産で私が命を落としそうになった。2度目の出産も心配だった。3度目だから無事であるとは限らないし、無事ではなかったらと思うと、自分は嫌だし、2人の子の将来も不安。
  • この年齢になって子どもが抱けるとは思わなかった。3人いたらうれしいけれど、未知の世界。
〇私が思うこと
  • 2人子どもがいて、こんなにかわいいなら、3人いたらもっと賑やかになる。
  • 出産までずっと、お腹の子に四六時中気を配りつづける生活は大変だった。あれをまた経験するのは、正直ちょっと気が重い…。
  • 仕事に復帰するのがどんどん遅れていく。
  • 夫はあと数年で定年になる。その後も働き続けられるかはわからない。最悪私の経済力だけで生活しなければならなくなったら、3人を育てあげられるのだろうか。自信がない。
  • 今の家は、5人家族で住むには手狭。思い切った生活の転換が必要になる。その勇気が私にあるか。ある気がするけど、生活を回すためだけの仕事をせざるを得なくなったら、私がくすぶってしまって子供に悪影響を与えそう。

<2にした場合>
〇夫が思うこと
  • 子どもが2人なら、父親、母親がそれぞれ1人の子を責任もって保護すればよいので、うまくやっていきやすい気がする。
  • 将来設計がたてやすいのではないか。
  • 私のキャリアアップも応援しやすい。
〇私が思うこと
  • 世の中、少子化と叫ばれているのに、2人で区切りをつけてよいのだろうか…。
  • 体内に戻せば妊娠する可能性が高いものを持っていながら、それを自己都合で廃棄するのは、贅沢で我儘なことではないのだろうか。
  • 凍結胚は、体内に戻せば命になるかもしれないもの。それを自己都合で殺してしまうことになる。いいのだろうか。
  • かといって、3人目出産しても、まだ凍結胚が残っていれば、同じ悩みを繰り返すだけ。
  • 少なくとも妊娠や出産では悩んだり苦しまなくていいのかと思うと、正直なところ、ほっとする。



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2019年7月に、私は家族を引き連れ、お世話になった人たちに会いにデンマークに行きました。滞在中、親しくしている3人の女性に、子どもを3人持つことについて聞いてみました。特に親しくしているLさんが言っていた、「家族計画は、最終的には、まずあなた(私のこと)自身を大切にして決めることだと思う。」という意見にはハッとさせられました。世間体や、倫理観や、他人の意見、そういうものに従う前に、自分はどう思うか、何を最も大事にするかをじっくり考えたうえで決断しようと思いました。

Gさん、70代、子ども3人(男・女・男)>
  • 子どもを3人持って、自分のキャリアが思うようにいかなくなったのは事実。→Gさんは元看護師で、学生時代にひとまわり年上の医師だったAさんと結婚し、在学中に子どもができた。子どもを育てていく中で、自身の学業をいったんストップせざるをえなかった。学業を再開しようにも、Aさんの海外赴任への同行や、次の子どもができたりでかなわず…ということがあった。
  • それでもやっぱり振り返ると、総じて、子どもが3人いてよかったと思う。



Gさん、90代、子ども3人(男・男・男)>

  • お手伝いさんがいたから、男の子を3人育てるのはそれほど大変じゃなかった。→うーん、さすがにこれは参考にならない(笑)。でも、このあっけらかんさが、男の子3人の母には必要なのかもしれない…。

<Lさん、50代、子ども2人(男・男)>
  • (「あなたには2人の男の子がいるけれど、もしも私が聞いてもいいことなら、なぜ子どもは2人にしたの?」と聞いてみました。)本当は、子どもは3人ほしかった。3人目も妊娠したけれど、死産だった。→私は、自分の質問の仕方がいかに自分本位だったか知って、Lさんに謝りました。本来「子どもは〇人まで」と決めて実行するのではなくて、「〇人ほしいと思っていて、なんやかんやで結果は〇人」であって、その「なんやかんや」に悲しい背景や人には言いたくない背景もある、ということが、私の中ですっかり抜け落ちてしまっていました。当時、Lさんや家族がどれほど悲しかったかは私には想像がつきません。
  • 家族計画は、最終的には、あなた(私のこと)自身をまず大切にして決めることだと思う。



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2019年8月、親友のSちゃんに会いました。Sちゃんも子どもを2人育てています。私は思い切って、3人目の子どもがほしいと思うか、単刀直入に聞いてみました。Sちゃんはズバリ「絶対いらない。」と断言しました(あまりに即答で思わず爆笑)。Sちゃんの意見は、小さなころから私を見ていたからこその的確な意見でした。
  • 知人に子どもが3人(4人だったかもしれない)いる人がいるけれど、その人は、我が強くないというか、流れに任せる感じでとってもおおらか。あの境地でないと3人以上は無理だと私は思った。
  • C(私のこと)は、絶対自分のやりたいことをしたほうがよい。

ここで、私が悩んでいた以下の2つは、世間体や、倫理観や、他人の意見から出てきたものなので、切り捨てていいと思いました。
  • 世の中、少子化と叫ばれているのに、2人で区切りをつけてよいのだろうか…。
  • 体内に戻せば妊娠する可能性が高いものを持っていながら、それを自己都合で廃棄するのは、贅沢で我儘なことではないのだろうか。

あとは、以下の悩みです。結局、腑に落ちないまま1年が経ち、更新月を迎えました。私たち夫婦は、「凍結胚を破棄して、子どもは2人で区切りをつける」とほぼ決断していましたが、以下のことについては、不妊治療でお世話になった病院の先生に意見を聞こうと思いました。
  • 凍結胚は、体内に戻せば命になるかもしれないもの。それを自己都合で殺してしまうことになる。いいのだろうか。

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2019年10月21日、凍結胚の破棄を申請する書類を持って、不妊治療でお世話になった病院へ行きました。子どもたちを夫に預け、病院へは私一人で行きました。この病院は一般の婦人科も併設なので、子どもを連れていくことは禁止されていないのですが、かつて不妊治療をしていたころ、私は子連れのお母さんを見ると、どうしてもモヤっとした気持ちが生じて、それで自己嫌悪していました。なので、他の方に、私と同じようなモヤっと自己嫌悪をしてほしくなかったのです。



先生には、「受精卵は廃棄するということで心は決まっているが、お腹に戻せば妊娠成立するかもしれない卵を自己都合で廃棄することに、罪悪感を感じる。」と正直に伝えました。



先生の見解は、実に簡潔かつ科学的で、聞いていた私もストンと腑に落ちました。


  • 女性の体内では月一回のペースで排卵があり、その卵が受精しようともしなくとも、卵の質が妊娠に至らないレベルのものであれば、そのまま消失して、月経によって排出される(いわゆる化学的流産とよばれているもの)。なので、その本来は体内にあるはずの卵が、たまたま私の場合は外に3つ出ているだけで、それが妊娠に至らなかっただけと考えれば、罪悪感を感じる事はない。
  • 実際、受精卵が3つあったら絶対妊娠するかというと、そううまくはいかない。さらに私の場合、妊娠に至りそうなグレードの高い受精卵は、もうすでに使ってしまった(私の子どもになっている)ので、その分妊娠の可能性は低い。

なお、廃棄の方法も聞きました。受精卵は凍結してあるので、それを解凍すれば、人体の外では成長できないものなので、そのまま死んでしまうとのこと。後は医療廃棄物として廃棄するそうです。


ここまで先生に聞いて、私はすがすがしい気持ちで凍結胚の破棄を申請する書類を提出できました。先生方にお礼を言い、病院を後にしました。もうきっとこの病院に来ることはないのだろうなと思うと、周りの景色も少し違って見えました。

私の妊活はこれで終わりましたが、子育てはこれからも続きます。あの時の偶然、あのときの決断がつながっていって、今があります。一つ何かが違えば、子どもはいなかったかもしれないですし、一人目の出産で私の命が終わっていたかもしれないです。至ったこの今を大切にします。

2019年9月9日月曜日

結婚式の後過ぎる「後撮り」

「自分のためだけに、自分のやりたいことをしてみたくなった。」…結婚式の5年後にあたる2019年、結婚式の「後撮り」をしました。なぜ今さら後撮りをするに至ったか、自分の考えを整理記録しておきたいので、ブログにまとめました。



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私が5年前に結婚式を挙げた時、私は前撮りをせず、写真は結婚式と披露宴の時に撮ったものだけでした。なのでアルバムは、当日のハイライト的な構成になっています。そのアルバムの内容は、「メインはゲストをもてなすことにある」という、私たち夫婦の結婚式・披露宴に対する考えを、プロのカメラマンが十分にくみ取ってくださったもので、私たちは満足していました。結婚式・披露宴自体も非常に満足のいくものでした。

経済的には前撮りもできたはずなのに、なぜこの時にしなかったのか。それは、なんとなく前撮りに抵抗があったからでした。

  • 結婚式はおもてなしだから、主役はゲスト。前撮りなんて不要
と、なんとなく思っていたのです。加えて、みるみる膨らんでいく結婚式と披露宴の費用に私が怖気づいてしまい、これ以上の出費は危険と、心の中でブレーキをかけたからでした。

結婚式と披露宴を終えて、やっぱり前撮りをすればよかったなあと思ったものの、
  • よい結婚式・披露宴だったのだからそれで十分だ
  • 結婚式も披露宴も、そもそも1発勝負なのだから何らかの後悔は残るものだ
と自分に言い聞かせていました。

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さて、それから4年が経った2018年7月、私は2人目の子どもを出産間近でした。仕事の関係で、かつて結婚式を挙げた会場の近くを通った時、やっぱり前撮りしたかったなと未だに思っている自分に気が付きました。

  • あの時、ドレスを1着に決めるにあたって、最後まで迷って選ばなかったドレスをやっぱり着て形に残したかった
  • 結婚式では使わなかったチャペルでも写真を残したかった

なんて思ったわけです。もう4年も経っているのに。出産でそれどころではないはずなのに。

いちど考え始めてしまうと、もう気になって仕方がない。そこで、今さらドレスを着て写真だけ撮影は可能なのか問い合わせました。物理的にできないのなら、その時初めて諦めればよいと。数日後に会場からお電話をいただき、バッチリ可能で「後撮りプラン」なるものもあるとの返事をいただきました。夫や義母にも相談。何を今さらと言われるのではと思ったら、意外にも賛成してくれました。夫は、私の貯金でやることなので異議なしという見解。そして義母は

  • やらなくて後悔したことをやり直せる環境があるなら、お金がかかろうと何だろうとやり直すに越したことはない
という考えで、私は勇気をもらいました。

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会場のプランナーさんと相談し、出産からおよそ1年後に撮影をすると決めました。その日から、以下4点を柱とした、私の「後撮り準備1か年プロジェクト」がスタートしました。

  1. まずは無事に出産をすること
  2. 子どもを育てながら、1年かけて健康的に体形を戻していくこと
  3. 4年前の後悔を、後撮りできちんとリベンジすべく、自分の希望を明確にすること
  4. 費用を無理なく捻出すること
1.は言わずもがな。

2.は、目標は出産前の体重に戻す。理想は結婚式の時と同じくらいの体重まで戻す。同時並行で、産後の骨格のゆがみや、筋力の衰えを徐々に改善していく。

3.は、子育ての合間に、5W1H形式で自問自答(なぜ撮影したい?どこで撮影したい?どのような写真?)しながら、思いついた考えを地道にメモして、自分の希望をクリアにしていきました。子育てをしていると、落ち着いてゆっくり考える時間がないので、この方法がうまくいきました。

4.は、撮影料プランのMAX料金と、そのほかに必要な経費を全部明らかにし、その費用をどこから出すのかを明確にしました。こうすることで、私の悪い癖である、細かなところをケチって後で後悔する、ということの無いようにしました。

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出産から半年後の2019年3月、プランナーさんに再度連絡を入れ、正式に後撮りプランを申し込みました。

平成が終わる2019年4月、1回目のドレス試着。この時私は、結婚式と披露宴で実際に着たドレスの写真、最後まで迷って選ばなかったドレスの試着写真、今回のドレスの選択で外せないポイントをまとめて持参しました。5年も経っているので、迷って選ばなかったドレスと同じものはもう残っていませんでしたが、似たようなテイストのドレスを選ぶことができました。後撮りプランはどのドレスを選んでもレンタル料金が一律だったので、経済面で妥協することなくドレスを選べるのが幸いでした。ちなみに後で分かったことですが、選んだドレスはMonique Lhuillier(モニーク・ルイリエ)のドレスで、偶然にも私が5年前に迷って選ばなかったドレスと同じデザイナーのものでした。私はこのデザイナーのドレスが好みなようです。

なお、このあたりが、ドレスを選ぶうえでの5年前の教訓です。今回はちゃんと生かすことができました。
  • ドレスの試着は、時間的・体力的・精神的に、1回に5着が限度
  • 見た目で気に入ったドレスが似合うドレスとは限らない
  • 店員さんがプロの目で選ぶドレスが意外としっくりくる
  • しかし、店員さんに完全おまかせだと、自分で選んだ感がなくて後悔する
  • 二の腕は隠せば隠すほど太く立派に見えてしまうので、むしろ積極的に出したデザインを選ぶ
  • フロントスタイルも、バックスタイルも両方気に入るデザインを根気よく選ぶ(写真は全方位から撮られるので)
  • でも、妥協しなければいけないときはバックスタイルのほうを妥協する(一番多い写真は正面からなので)
試着を終えて、まだまだ体形に締まりがないことにまざまざと気づかされました。二の腕もスッキリしない。ということで夫と相談し、平日は子どもを寝かしつけた後で、NHK Eテレの「みんなで筋肉体操」を2人ですることにしました。

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2019年6月、2回目のドレス試着。ここで、前回の1着の他に、もう1着気に入ったデザインのドレスが出てきてしまいました。5年前にも同様のことがあり、ドレスのレンタル料金等々を考慮して、私は1着を諦めた経緯があります。今回は同じ轍は踏みたくない。ゆえに、2着とも諦めませんでした。2着選べばプラン料金は12万円近く跳ね上がりますが、ここでお金をケチって後で後悔しても、年齢的に2度と写真を取り直すチャンスはない。ということで、思い切りました。

ドレスが無事に決定し、ブーケを作ってくださる花屋さんと、ブーケのデザインについてもメールで相談しました。
こちらから伝えたことは以下4点で、あとはお店にお任せにしました。
  • 決定したドレスに合うデザインであること(決定したドレスの試着写真を送付)
  • 好きなブーケの傾向(多数の花が入っているハーブっぽいデザインよりも、主張の強い少数の花でまとめたものがよい)
  • ブーケに取り入れてほしい色(ブルーを主役に)
  • 自分の好みのブーケデザイン(その花屋さんのホームページにあった作品集から数点選んで送付)
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2019年8月、夫のタキシード試着と、私のアクセサリー選び。夫は久々にタキシードに袖を通し、5年前よりサイズアップをしていることを知り、その日から撮影当日までビール断ちを実行。みんなで筋肉体操にも拍車がかかりました(笑)。

アクセサリー選びも、レンタル料が2万5千円以上は一律料金というプランがあったので、そのプランの対象で、撮影当日に借りられるアクセサリーをピックアップしてもらい、その中から選びました。思い切ってティアラを選んでしまいました。ドレスとマッチして、私が好きなアクセサリーならそれでよし。これは私が私のためにすることなのだから、年相応かとか、そういうのは関係なし!

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さて、ここまで時点で私たちは、子どもたちを撮影に連れていかないことを決めました。
理由は以下のとおり。
  • そもそも家族写真ではなく、私のドレスの写真を残すことが主な目的だから
  • 子どもが現場にいると、撮影に集中できない→いい写真が残せない
  • 予想外のトラブルで撮影中断になりかねない
  • レンタル衣装を破損汚損して補償するリスクが恐ろしく高まる
撮影当日、子どもたちは市のファミリーサポート制度を利用し、ある一般のご家庭に有償で預かってもらうことにしました。事前打ち合わせも済ませ、こちらも万全の体制。

そして万が一、子どもたちが病気などのトラブルで預かってもらえなくなった場合に、どうするかも決めておきました。撮影日の変更はできないプランなので、やむを得ない場合はキャンセルするわけですが、このチャンスを逃せば2度と写真を取り直すチャンスはない。ということで、夫は子どもたちと自宅待機し、私一人だけで撮影に臨む!!ことにしました。そうなりませんようにと願いながら。

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9月。撮影前日。メイクや髪形をどうするのか、すっかり忘れていました。慌てて
スマホで花嫁ヘア&メイクをいろいろ調べて、好みの写真のスクショを撮り集めました。とった結果を見て、私は王道のヘア&メイクと、ちょっと外したものがしたいのだなと、なんとなくの傾向をつかみました。

明日の持ち物もしっかり整え、家族全員、早めに床に就きました。

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9月。いよいよ撮影当日。台風が懸念されましたが、夜中のうちに過ぎてくれました。子どもたちもいつも通り健康。予定通り撮影に臨むことができました。メイクやヘアスタイルも、私のつたない希望をうまく形にしてもらいました。撮影途中のアクセサリー変更など、細かい希望にも対応してもらい、9:30~14:00の撮影時間はあっという間に過ぎ去りました。

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撮影してみて、改めて気づいたことがいくつかあります。

<メイクをしてみて>
  • 子育てでつい、自分の身の回りのケアをおろそかにしがちだけれど、メイクやお手入れで最低限の「身ぎれいさ(美しさとはまた違う)」をキープしたほうがよいと思った
  • 身ぎれいにしていくことで、身ぎれいな歳の取り方をしていくだろうし、そうすることがきっと子ども達のためでもある(私が子どもの立場なら、自分のことは全く手をかけないお母さんと一緒にいるよりは、身ぎれいなお母さんのほうがよい)
  • メイクの力では、若いままではいられないが、年相応に身ぎれいにはできる

<ドレスを着てみて>
  • 筋肉は裏切らない(腕立て伏せのおかげで、二の腕は結婚式の時よりも引き締まっていた。太いは太いものの…。)
  • 体形改善には、今回のような一生残る写真撮影など、大きな目標が効果覿面

<撮影してみて>
  • 自分が納得できる笑顔は、あらかじめ自分でどう顔の筋肉を動かすかを確認しておかないと、できない(笑)
  • 姿勢や所作ひとつで、自分の見え方ががらりと変わる。きれいな姿勢を褒められたので、これはずっとこれからもキープしていきたい

<全体的に>
  • 私は自分をしっかり肯定していないから、これまでウエディングドレスのような、きれいなもの・かわいらしいものを身に着けることを、私は自分で制限していたのかもしれない。自分はかわいくないから、きれいじゃないからこういうものは着てはいけないと、どこかで思っていた。5年前の「結婚式はおもてなしだから主役はゲスト、前撮りなんて不要」、「30代も半ばでウエディングドレスを着るなら落ち着いたものを」、「お金のためには好きなものばかり選んでいられない」、というのは、自分で自分を制限するために勝手に作った、表向きの理由だったのではないか。
  • 今回、自分の希望をしっかり形にしても、だれも否定なんかしなかった。私はやっぱり、きれいなもの・かわいいものが大好きだだと気づいた。自分に嘘をついたり妥協しないで希望を伝えて、それに周りから賛成してもらうという今回の経験で、自分がかなり肯定できたし、これから夫や子どもたちにも素直に感謝して向き合えそうな気がする。

2019年7月11日木曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航2 その9:2019/7/11-12

7月11日

コペンハーゲンのSydhavnenという街で泊まったホテルは、Roskilde滞在時と同様にScandicホテルでした。こちらのホテルは部屋数が多く、ツアー観光客、メッセやカンファレンス参加者向けといった感じでした。朝食の会場も広く、多くの宿泊客で落ち着かない印象でした。11日の朝はそんな落ち着かない中での食事となり、(なんとか私が食べ終わるまで、子どもたちよ騒がないでおくれ!!)と念じながら、私は急いで朝食を口に入れていて、およそ食事と呼べるものではありませんでした。
そんな中、朝食の会場の奥に、子連れ向けの専用席が用意されているのを発見しました。ビュッフェのコーナーを挟んで、一般の席と反対側に子連れ向け席があり、子連れ向け席に近い側のビュッフェコーナーに、子どもが食べられそうなコーンフレークや、柔らかめのパンなどが置いてありました。
ちなみに12日の朝は、朝一番で朝食会場へ行き、子連れ向けの専用席を使用しました。子どもたちも落ち着いて食べられましたし、私も夫も周りを気にしすぎないで済んだので助かりました。さらに、この専用席の奥の部屋は、子どもが走り回って遊んだりお絵かきをしたりできるスペースが用意されていました。


11日の午前中は、市街地で買いたいものハントをしました。Sydhavnen駅からNoerreport駅へ行き、コペンハーゲン中央駅まで歩きながら、リストアップしておいたものをどんどん買っていきました。


RAINSにて。「雨が降ってもくたばらないバックパック」を購入しました。私はこれを日本のオンラインセレクトショップで初めて見つけて一目ぼれしていました。サイズに大と小があったので、いちど試してから買いたいと思っていたのでした。大がいいかなと思っていましたが、実際にしょってみると、小のほうがしっくりきました。試してよかったです。



Rains Store Klareboderne: Klareboderne 4, 1115 København K, Danmark

おもちゃ屋さんにて。ディズニーDVD「白雪姫」のデンマーク語版。私の勉強用。

Illums Bolighusにて。

ローゼンダールのスパイスミルを購入。多分日本で買えるのですが、免税であればこちらで買ったほうが安いのでついでに。

上の子が初めて自分で「これ欲しい!」というので買った「高級な💩のキーホルダー」。夫がいつの間にかカードで買っていました(笑)。私には100均クオリティにしか見えないのですが、なんとセールで50DKK(約850円)。高い…。


この日は快晴の中、おんぶと抱っこで2時間近く歩いたので、予想以上につかれました。ホテルに戻ったら30分くらい全員寝てしまいました。


午後は車で知人のHさん宅へ。大学の研究の関係で、私が1番最初にデンマークに行った時に、1ヵ月間お世話になった方の家です。出会った当時(2001年)は互いに20代でした。18年の間にどちらも40代になり、お互い家族が増え、その構成が変わり、引っ越したり、転職をしたりと大きく変わっていく中でも連絡を取り続け、また会えていることがすごいよねえ、とお互い話していました。



Hさんの娘さんと上の子は、今年の春にHさん一家が日本に旅行に来た時に、一度会っています。お互いのことをかすかに覚えていた様子。すぐに打ち解けていました。

2人がてんこ盛りに貼りまくったシール。

夕方は、ホテルのレストランで食事をしました。
私たちの他にも子連れ家族がいっぱい食事をしていたので、気張らずに食事ができてよかったです。旅の最後に、サンドイッチばかりではない、温かい食事とワインをとることができて、夫も嬉しそうでした。それでもって、私は油断してまたfishを頼んでしまい、巨大カレイを食べたのでした。でもドイツで食べたのよりもこちらの方が断然おいしかったです。さすがStrandby(Sindalに近い、北ユトランドの港町)のカレイは違いますな。それ以前にScandicホテルのご飯はハズレがないと私は思いました。
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7月12日
朝食をとってパッキングをしたらあっという間に9時半。チェックアウトをして、タクシーでコペンハーゲン空港へ。免税の手続きやら手荷物検査やら受けていたら、もうフライト時刻。のんびりする間もなくヘルシンキへ。


ヘルシンキでは乗り換えまで3時間あると思っていたら、時差の都合で2時間でした。パスポートコントロールを通って、食事を済ませたらあっという間にフライト時刻。
ちょっとぐらいは免税店を見たかったのですが、全くその時間がありませんでした。

帰りの日本行きの機内では、下の子のバシネットを壁にとりつけずに床に置いてもらう方法にしました。バシネットの中で子が動いても落ちることがないので、かえって安心でした。夫と交代で仮眠をとりながら二人の子の世話をしているうちに、あっという間に名古屋に着きました。

上の子は、教えてもいないのにタッチパネルをすいすいと操作していました。

私のモニターは、引き出してみたら瀕死の状態でした(笑)。

とにかく、病気、怪我、トラブルがなく戻って来られて良かったです。
小さい子を連れた旅で大切だと私が思ったのが、次の4点です。
  • 何をするにも、大人の所要時間の1.5〜2倍は時間に余裕を持たせる
  • 金で買える楽は惜しまず買う
  • 疲れたらいつでも休める&トイレに困らない旅程を組む(いつでもホテルに戻れる距離で行動したり、多目的トイレの有無を確かめておく等)
  • 子の都合で日程が変わってしまうのが常なので、どこかで、大人のモヤる気持ちを発散できるものを用意する(現地のビールを買って飲むとか、美味しいものを食べるとか)

最後に、この旅で1番私がびっくりしたことが、(なんとなく、そうなるとは思っていたけれど)、1回も現金を使わなかった事でした。念のため、現地のATMで現金を引き出せるよう手配はしておきましたが、結局、全部カードで済ませてきました。現金しか対応できないと言う理由で諦めたものも特にありませんでした。キャッシュレス化は確実に進んでいるんですね。

大変でしたが、思い切って、会いたい人のところに会いに行けてよかったです。協力してくれた家族に感謝です。総じて後悔なしです。

2019年7月10日水曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航2 その8:2019/7/10

7月10日
朝起きると、LさんFさんはベルギーへ出かけた後でした。
家族4人のひっそりとした朝。パッキングもなんとか終わり、任されていた鍵かけとゴミ出しも終え、9時に家を出ました。ああ、楽しかった。本当にお世話になりました。

駅に向かう途中で、町のパン屋”Ingeborg”でrugbrød(ライ麦黒パン)を一斤購入。私はドイツやデンマークの一般的な黒パンの酸っぱさが苦手なのですが、Ingeborgの黒パンは買って帰ってでも食べたいほど、クセがなくて美味しいのです。1斤30DKK(約550円)。

切符はあらかじめ、デンマーク国鉄(DSB)
のアプリからクレジットカードで買っておきました。以前は駅の券売機で、乗る直前に買わないといけなかったのですが、子連れだと思わぬトラブルで予想外の時間をとられることがある&そもそも券売機が壊れていたりするので、このシステムは心配性の私にはとてもありがたかったです。

切符はスマホのアプリ上に表示されるので、印刷は不要です。乗る時刻になると自動的に切符が有効になります。このスクリーンショットを撮ったのは乗車した翌日なので、"Expired"の表示が出ています。列車に乗るときに改札はありませんが、車掌さんがきたらこの画面を見せます。バスは運転手にこの画面を見せればOKです。

ちなみにスクリーンショットをとると、自動的に「スクリーンショットは切符として使えません」と出てきます。こういう配慮はスマートですね。

列車に乗るまで駅のホームを走り回る上の子。またみんなでここに来られるといいね。

列車に乗ってしばらくして、隣の駅で停車。いつまでも発車しないなあと待っていたら、なんと、列車をここで一部切り離すと知り、あわてて前のほうの車両に移りました。教えてくれたおじさん、どうもありがとうございました。

列車は順調に進み、Lindholm駅で下車。バス待ち合わせの隙間時間に、下の子に離乳食を食べさせ、バスに乗りかえて先ずAalborg空港へ。チェックインを済ませ、バゲージドロップで大きな荷物を預けて身軽にしました。夫とLさんが昨日作ったサンドイッチを頬張って、再びバスでAalborg大学へ。ちなみに夫は、4月から私と一緒に「みんなで筋肉体操」を継続したおかげで、荷物と子どもをかかえてもあまり疲労感がなかったとか。筋肉は裏切らない…。


バスの中でトラブル。なんと、子どもたちが二人とも、バスに乗ったとたんに大きい方をしてしまいました。なぜ、なぜ、さっき空港にいるうちにしてくれなかったのか…。バスを降りてもおむつを替えるところはありません。どうにもならないので、周りにはシラを切り倒し、大学に着いたらすぐに身障者用トイレに駆け込みました。ところが、オムツ替え台が付いていませんでした。オストメイト設備まであるのなら、あともう少し頑張って、オムツ替え台もつけてくれたらよいのに(泣)。しょうがないので、便座のフタの上に子を寝かせてオムツ替え。だんだん、夫も私も、この辺りのピンチの切り抜けが上手くなってきました。

大学では、元クラスメイト、お世話になった技師の方とお話ができました。教授も来てくれる予定でしたが、風邪をひいてしまったそうで会えずに残念。上の子は人見知りしてしまい、建物のテラスを夫とひたすら散歩していました。下の子は抱っこされまくりでした。ああ、もう一度、アカデミックな環境に身を置きたい…できるかな…やってしまおうかな…。

バスで空港に戻り、17:50のフライトでコペンハーゲンへ。プロペラ機でわずか45分のフライトでした(2年前はもう少し大きな飛行機だったはず…経費削減??)。こういう短い飛行時間では、飛行機が上昇してすぐ下降するので、子どもたちが大泣きするのではないかと私はヒヤヒヤしていましたが、子どもたちは爆睡していてくれて助かりました。

上の子が空港でいただいた、「飛行機でも退屈しないセット」です。間違い探しや数独など、上の子にはまだ少し早い内容でしたが、公共交通機関ではこういうものを駆使して、子どもをなだめすかして乗り切るのが親の務めですね。




コペンハーゲン空港につき、残りのサンドイッチをほおばり、スタミナをつけてもう少しだけ列車移動。20:30ごろ、Sydhavnenのホテルに到着。移動の多い一日でした。


2019年7月9日火曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航2 その7:2019/7/9

7月9日

今日もホストファミリー宅でのんびりと過ごしました。

朝食はRundstykkerと呼ばれるパンでした。LさんFさん宅では、私が住まわせてもらっていた当時から、日曜や特別な日に食べるスペシャルなパンでした。このパンが出ると、私は気分があがります。


パンを2つに割り、バターを塗って、チーズをのせて、ジャムをのせて、ジャムバタチーズだだんだーん♪にして食べます。えっ?!美味しいの?!という組み合わせですが、だまされたと思って一度食べるとクセになる美味しさなのです(少なくとも私にとっては)。

朝食を食べて少しひと休みする間もなく、夫は子どもたちに朝から駆り出され、庭で一緒に遊びに付き合わされていました。Fさんは納屋の整理。Lさんと私は、隣町のHjoerringへ車で買い物に行きました。

私は、マニュアル左ハンドル車の運転に5年ぶりに挑戦しました。なお、私は2009年にデンマークで免許をとっています。まだ有効です。身体がちゃんと覚えているものですね。私の場合は、日本で車の運転をしたことがないまま、デンマークで免許を取ってマニュアル左ハンドル車を運転し、帰国後は日本でオートマの右ハンドル車しか運転していないので、頭の中で混乱が少ないというのもあるのかもしれません。とはいえ、さすがに街中まで行くのはリスクが大きいので、途中でLさんに交代してもらいました。

町で、私はオーガニックのHavregrynを買いました。このHjoerringという町で作られているAurion社のシリアルが、私は大大大好きなのです。コペンハーゲンに行ってしまうと、街大きすぎてかえって手に入れにくいので、ここでしっかり買っておきました。


午後は、LさんFさんと近くのSlotved skov自然公園を散策。ここにはもともと自治体所有の小さな森があったのですが、2015年に地方自治体の土地と近隣の私有地を合わせ、国所有の自然公園になりました。


夕方は、車でTverstedという町の海岸へ行きました。Tverstedは、このあたりでは有名な観光地で、キャンプ場やサマーハウスがたくさんあるところです。
ここの名物はアイスクリームです。使われているアイスは業務用のアイスで、飛び抜けて美味いわけではないのです。が、なぜか海でアイスクリームを食べると美味しいのです。


私はかつて、この海岸で車の運転の練習(当時は合法)をしたり、日本から文化交流でいらした凧職人さんの大凧をあげさせてもらったり、誰もいない冬に一人で考え事をしたり、今思えばとても贅沢な時間を過ごしていました。




早々に夕食を済ませ、夜はパッキング&サンドイッチ作りにいそしみました。ホストファミリーたちは、翌日からベルギーへ旅行です。なんと夜中の3時に車で出発。明日は私たちもこの家を離れて、Aalborg経由でコペンハーゲンに向かいます。さすがに3時には出ませんが。夜の9時に全員、ハグしてお別れのあいさつをしました。「ここまで来てくれてほんとうにありがとう!」と言われて、やっぱり思い切ってここに来てよかったと心から思いました。また会いましょう。


【後日談】
Havregrynとはそもそも何なのか、日本では買えるのか?なにげに私は一度も調べたことがありませんでした。Havregrynはオートミールのことでした。我が家の近所では、日食のオートミールがいちばん割安だったので、買って食べ比べてみました。日食のオートミールのほうが、ほんのり甘みがあって粒も小さめでした。しかしなにぶん高い。比べても仕方ないのですが。日食は500gで税抜570円。私の買ったHavregrynは1㎏で税込45DKK(770円くらい)。消費税を差し引いたらもっと安くなりますし、オーガニックでないものはさらに安いです。これが需要の差なのですね。それでもコーンフレークを買うよりは割安なので、日食のオートミールは下の子の離乳食になっています。

2019年7月8日月曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航2 その6:2019/7/8

7月8日
元ホストファミリーのお宅で過ごしました。
すごく良い天気のなか、散歩をしたり、庭で食事しながら話をしたり、のんびりと過ごしました。

朝食。Rugbroed(ライ麦の黒パン)のオープンサンドイッチ。
 

午前中、私だけひとりで、親しくしていたGさんのお宅へ。Gさんは私の元カレのお母さんなんですが、なぜか元カレと別れて何年もたち、元カレにも新しいパートナーができて新しい生活を始めているにもかかわらず、なぜかずっと連絡を取り合っている関係です。日本だったら、元カレとの関係が破綻した地点で消滅する関係だと思うのですが、元カレの関係とは全く独立して、Gさんは私とGさんの関係を考えているそうで、そのあたりが個人主義というかなんというか、私もGさんと話をするのは大好きなのでまあいいや、という感じです。

Gさん宅までは、原っぱをずんずん歩いていきました。懐かしい草のにおい。

Gさんは今年の3月に旦那さんのAさんを亡くしました。私はAさんにもとても大事にしていただいていたので、私もその話を聞いてショックを受けました。いつかは来るその日が来てしまったなと。Gさんの息子さんや娘さん達も全員独立して家を離れており、Gさんは大きな家に今はひとりで暮らしているとのこと。教会でボランティア活動をしたり、娘さんや、息子さん(元カレ含む)、お孫さん達も今までと変わりなく訪ねてくれるし、Gさんのほうから訪ねることもあり、寂しくはない、とGさんは言っていましたが、寂しいものは寂しいでしょうよと思った私。私がびっくりするほどGさんは矢継ぎ早に話しかけてきて、なんだか私を少しでも長く引き留めているようにも感じたからです。

話が白熱し、気が付くとお昼前。Gさんは私が子どもを連れてくると思っていたそうですが、連れてこなくて正解。子どもを連れていたら、ここまで深くGさんと話ができたとは思えません。また会いに来ますとハグをして、また原っぱを歩いて、LさんFさん宅へ戻りました。

私が留守にしている間、Lさんと夫と子どもたちは、Lさんのお孫さんの三輪車を借りて近所を散歩したり、庭で飼っている鶏が産んだ卵を拾ったり、ミントの葉を摘んだりして過ごしたそうです。

お昼ごはん。生のニンジンをかじるのは、デンマークあるあるです。

午後は、Fさんのお母さんのKさんが家に来てくれるというので、Kさん宅にお迎えに行きました。Kさんは御年94歳ですが、今でもホームヘルパーの助けを借りながら、老人向け集合住宅に一人で住んでいます。私の子どもたちのこともひ孫にカウントしてくれる、とてもユーモアのある優しい方です。

Kさん宅に行く途中で、農家の無人直売所で路地栽培のイチゴを買いました。ここにもRF Walletと並ぶ、驚きのキャッシュレスシステムがありました。MobilePayという、個人間送金が可能なスマホアプリで支払うシステムです。10年くらい前は、こういう無人直売所にはお金を入れる缶が置いてあったのですけれどね。私がFさんから聞いたMobilePayのびっくりな話は別に書きます。

デンマークの路地イチゴは丸くて、ちっちゃくて、甘くて、夏にデンマークを訪れたらぜひ味わうべきと私が思うもののひとつです。

Kさんを連れて家に戻り、庭のテラスで、Lさんお手製のケーキでお茶をしました。私は、自分の子どもたちを2人ともKさんに抱っこしてもらえて、すごくうれしかったです。


夕方の食事の時間まで、庭の木陰に椅子を並べて、話をしながら過ごしました。上の子は鶏に餌をあげたり、ボール遊びをして庭を走り回ったり。下の子は木につり下げたブランコに揺られて楽しんだり。自宅ではできない開放的な体験をたくさんさせてもらいました。

晩ごはんはFさん手製のローストチキンでした。晩ごはんといえども外はまだ明るく、再びテラスでワイワイと会食しました。



お話をしているうちに、あっという間に夜の9時半。まだまだ外は明るいので、いつまでものんびりしていたくなりますが。Kさんは、私達との別れ際に泣いていました。私は”Farvel(さようなら)"ではなく、”Vi ses.(また会いましょう)”とあえて言いました。Kさんが泣くのは、次にまた会えるかどうかわからない、今日が最後かもしれないと考えているからかもしれない、と私は思いました。Lさんも同じ見解でした。