2011年8月27日土曜日

地獄を見た日

「両婦地獄(ふためじごく)を実際に見たい。」
と言う母と一緒に、日本の地獄絵展を見に行きました。

地元の愛知教育大学で、地獄絵を研究していらっしゃる鷹巣純先生が集めた、平安~江戸時代の地獄絵の写真展でした。そもそも、母と私は、東海地方の某情報番組が、鷹巣先生と地獄絵コレクションをレポートしているのを偶然観て、地獄の面白さにハマッたのです。母が特にハマッた地獄が、冒頭の「両婦地獄」でした。昔の人が、誰も見たことのない死後の世界である「地獄」を想像して書いたのが、地獄絵なのですが・・・いやはや、昔の人の想像力のたくましさには参ってしまいます。仏教の六道を描いた壮大なものや、人が亡くなって、その身体が朽ちていく様子から、地獄へ旅立つまでが描かれているのまで。きっと、平安時代ほど昔になると、道端に誰かのなきがらがあっても普通だったでしょうから、こういう絵も意外とサラリと描けてしまったのかも知れませんが・・・?かと思いきや、「両婦地獄」のように、生前の因果応報なのですが、その応報っぷりがどこかしら笑えるものまで。

会場には鷹巣先生ご本人がいらっしゃったので、「なぜ、これほど恐れていた地獄を、あえて昔の人は描いたのでしょうか?」と、自分の率直な疑問を先生にうかがいました。先生いわく、「描くことで、際限ない地獄への恐れに、ある程度の基準や限界を設けたかったのではないか?と私は思います。たとえば、後ろから何かが近づいてくるのに、それが何か全く分からなかったらすごく怖いですが、それが人だとか車だとか、ある程度分かれば、少し怖くなくなるように・・・。」とのことでした。

また、先生の地獄絵への観察眼も実に鋭いのだなあと、お話をしていて感じました。「地獄に落ちた人はひどい目にあっているので、みんなつらそうですが、地獄で働くほう(鬼とか)はみんな楽しそうでしょう?」と先生がおっしゃるので、先生イチオシの、地獄で楽しそうに働く方を、許可をとって写真に収めてきました。

じつに楽しそうに働いています・・・。


最後に、「両婦地獄」とは何かというと・・・生前、浮気をした男性が落ちる地獄だそうです。こんな地獄です。ほほえましいでしょうか?それとも怖いでしょうか?