2012年12月30日日曜日

東京のくらし


ここ1ヶ月、東京へ長期出張していました。
学生時代に、こんな大きな街で勉強して暮らしていける自分を贅沢だなと思った街、東京。あれから10年がたち、川越、デンマーク、名古屋といろいろな場所で暮らし、再び東京で暮らしてみて、私は10年前とは全く違った思いを持ち、自分でも驚いています。

正直なところ、毎日、すごい違和感を持って生活していました。違和感をそこかしこで感じで、それが仕事の邪魔で仕方がありませんでした。仕事自体は面白いし、東京でも職場の方は私にとても気を遣ってくださいました。私も、通常の勤務よりも私に金がかかっているから、成果を出さないといけない、と思っていました。でも、どうにも体が持たず、よくて通常並の働きしかできていなかったのが悔しかったのです。どうして集中力が切れるのか、どうしていいアイデアがスパッと出てこないのか、どうして毎日7時間は寝ているのに昼間も眠いのか、どうして身体がかゆいのか、口内炎だらけなのか。

今回東京で住んだ場所に、慣れていなかったからだったのでしょうか?もともと今も、府中で学生生活を送ったときも、川越で働いたときも、家は賃貸で、住んだことがなくてよく知らない街から生活をスタートさせました。今回だって、もっと住んでいれば慣れて、違和感は感じなくなったでしょうか・・・と考えて、たぶんそうではないなと思いました。

住むところ云々よりも、根本的に私は、人が常時・極端に多いところが嫌なのです。
人の多さが生じさせるいろいろなものを、自分が敏感に感じ取ってしまうことが嫌なのです。

昔、少しだけ赤坂で働いたことがありました。私は短期間でその仕事を辞めてしまいました。自分がこんなに根性なしとは思ってもみませんでした。仕事自体は充実していて、人間関係の問題もありませんでた。ランチはどこも美味しかったし、帰りは遊ぶところも充実していました。今思えばただひとつ、街の人の多さと、人の多さからどうしても生じる「どんな小さな細かなことにも互いに気を配らなくてはならない空気」が嫌でたまらなかったのです。いつしか遊ぶ気も、お昼を外で食べる気もなくなり、働くことを「我慢報酬をもらう行為」としかとらえなくなりました。

東京では、所詮たくさんいるのは他人だからと、割り切って人に気を配らないようにしていけば、もっと楽に暮らしていけるのかもしれません。しかし、人を押しのけて歩く人、周りの音に負けじと大声を出す人、ゆっくり歩く子どもや老人に舌打ちをする人、自分の生活時間と他人の生活時間を同じととらえる人に、私はどうしてもなりたくなかった。

でも、どうしてもあるのです。急いでいるときに行く手をはばむ人々の流れや、どうしても生活時間を遅くシフトし遅寝遅起きにしないと、ラッシュにのまれて身動きがとれない事情。仕方がないのだと受け入れて、人への気配りを割り切って抑えて、自分の心身を滅ぼさない程度にすごさないと、この大きな街ではサラリーウーマンは暮らしていけないのかなと思いました。でも、なんかその諦めには、自分の身体の奥底で何かが「違うんじゃない?」と言うのです。もっと別の方法はないのかと。

結局私は元の生活に戻りましたが、このことは忘れないで考えていたいです。

みなさま、よいお年を。