2016年2月13日土曜日

不妊治療の記録(前編)

2014年9月から2016年2月まで約1年半の間、私たち夫婦は不妊治療を行いました。
タイミング法から始まり、最終的に体外受精まで行いましたが、治療終了まで1年半というのは、かなり短期間のケースだと思います。

早く結果が出せたのは、振り返ると、このあたりの要因が功を奏したのではないかと思います。
・お互い年齢が高いこともあり、結婚後、様子を見るまでもなく早く病院に行き、治療を開始したこと

・夫が非常に協力的であったこと。原因が夫側にあっても、夫が淡々と受け止め、やれる範囲の治療を受けてくれたこと

・早い段階で治療費の予算立てを行い、どのレベルの治療をいつまで続けられるか見通しを立てたこと。「何をどこまで、何回、いつまで治療を行っても結果が出なかったら諦めるか」をシミュレーションし、諦めどころを明確にしたこと

・予算立てをしていたおかげで、体外受精に踏み切る決断が早く、私側が妊娠しにくい体質になる前に体外受精を行うことができたこと

・子供のいない生活、血のつながっていない子供をサポートする選択肢についても検討し、夫も私も、血のつながりにはこだわりがないという考えが一致したこと


以下、私と夫が体験した、1年半の治療内容を、記録として書きとめておきます。診療費は自費負担分のみ記録しておきます。

2014年6月
結婚

2014年7月
不妊治療を行う病院を探し始めた。まず、それまで通っていた婦人科の先生に相談し、不妊治療専門院で有名な某クリニックの紹介状を書いていただいた。ところが某クリニックで診療を受けたい場合、事前に説明会に出席しなくてはならず、まずその説明会の予約がいっぱいで取れず、予約が取れるのが10月以降になることが判明した。まさかこれほど不妊治療に向かう人がいるとは。これだけ人気がある病院では、治療にこぎつけたとしても、治療が生活をさしおいて優先になってしまうのではないかと思った。私は、それはなんだか違うかな?と思い、別の病院を探すことにした。

2014年8月
自宅から3駅のところに、数年前に新しく開業した病院があることを知り、電話をしてみた。基礎体温を測定したうえで初診に来てほしいといわれ、1ヶ月間、基礎体温を測った。

2014年9月中旬 
生理が終わった段階で初診。まずは私一人で受診した。先生は女性で、非常にサバサバとしているが、こちらの質問にはきっちり回答する方という印象だった。不妊症検査についての説明を受けた。検査内容は、各種ホルモン値(卵胞刺激ホルモン、黄体刺激ホルモン、プロラクチン等)を血液検査で測定し、排卵がなされているか等、女性側の妊娠機能に問題がないかどうかを調べるというものだった。生理周期にあわせ、特定の時期に特定のホルモンの検査を行うため、1ヶ月間に3回ほど採血のため通院することになった(つまり、生理の終わりを待ってから初診に行かなくても、行けるタイミングで行けばよかったということ)。
採血とは別に、卵管造影検査の予約もした。これは子宮に造影剤を注入して、卵管につまりがないかチェックする検査で、とても痛い!と先生からキッパリハッキリ伝えられた。

2014年9月下旬
私の採血の日に合わせ、夫の精液検査も行った。精液検査の結果は、自然妊娠は難しいかな~?という、喜べるものではなかった。夫には補中益気湯という漢方が処方された。

2014年10月
卵管造影検査。造影剤が入ると、人工的に重い生理痛を起こしたような痛みがお腹に走り、本当に痛かった。検査後に1時間ほど処置室で安静にした後、結果を聞いた。レントゲン画像には、本で見るような逆三角形の子宮が白く写っていた。左卵管はばっちり貫通しているが、右は貫通しているのかよく分かりづらいとのことだった。先生いわく、たまたま左ばかりに造影剤が流れることもあるので、両方が完全に詰まっているのでなければ、神経質にならなくてもよいとのことだった。
これまでの血液検査の結果もあがってきた。ホルモン値はいたって正常で、私の身体はきちんと排卵し、妊娠できる身体であることが分かった。
この日から、受精にベストなタイミングを知る「タイミング法」を試してみることになった。タイミング法では、生理終了後1週間ほどしたら私が病院を1~2度受診し、膣内エコーで卵胞の成長ぶりをチェックした。「いま卵胞が何ミリなので、いつごろ排卵するので、いつごろ性交渉を持ってください。」という先生のお告げをいただいて、そのとおりに性交渉を持った。
病院には仕事が終わって夕方に行けばよかったので、早退も遅刻もせずにすんだ。この病院は、駅から徒歩10分ほどのところにあり、遠方から通うのは難しいためか、土曜以外は混雑がさほどなく、予約時間の融通が利いたのもありがたかった。 

2014年11月
生理が来た。タイミング1回目失敗。生理が来てこんなに落ち込んだことがあっただろうか。
11月は新婚旅行に行くため、タイミング法はお休みした。好きなだけ美味しいものを食べ、好きなだけお酒を飲み、好きなだけ旅行を楽しんだ。

2014年12月
タイミング法にプラスして、受精後に受精卵がしっかり子宮内にとどまってくれるように、黄体ホルモン注射を打つことにした。タイミングで性交渉を持ったのち、指定された日あたりに受診し、HCG(ヒト絨毛性ゴナドロビン)というホルモンを注射で補充するというもので、この注射が筋肉注射で痛かった。注射は腕にするか尻にするか選べた。最初は腕にしてもらっていたが、一回尻にしてもらったら、尻のほうが痛くなかったため、それからは迷うことなく尻を選択した。
12月~2015年2月は、この治療を繰り返した。生理が来て、落ち込んで、生理開始から2週間たったらまた受診して、卵胞をチェックして、タイミングを取って、HCGを注射して・・・の繰り返しだった。
2月も生理が来た。その2週間後に受診した時、先生からAIH(人工授精)を打診された。

2015年3月13日
私のみ受診。 卵胞が順調に育ち、翌日AIHを行うことになり、排卵をうながすホルモン(ゴナピュール)の筋肉注射をした。

2015年3月14日
初のAIHを行った。この日は土曜で、夫と一緒に午前中に受診した。病院についてすぐ、精液採取のため、夫は病院内の採精室を利用した。せっかくなので、看護師さんに許可を取って、私も室内を見学させてもらった。狭い室内にエロ本が置いてある、質素な部屋だった。
採取した精液の処理で数時間待つため、近所の喫茶店でモーニングを食べた。途中で病院から電話があり、処理した精液の濃度が、AIHをするにはあまり芳しくない状態だったことを告げられた。それでも私たちはAIHをお願いした。処理だけで¥8,000ちかくかかってしまうため、万に一つの望みがあるなら、数千円ごときはケチらずにトライしてみようという判断だった。
AIH自体はあっけないもので、病院に戻って私が手術室へ行き、先ほどの処理した精液を体内に注入されるというもので、痛くもなんともなく非常に短時間で終わってしまった。HCGの注射を打ち、抗生物質が処方された。
診療費 トータル¥16,310(自費)

2015年3月17日
AIH後の受診。私だけで受診し、ルトラール(妊娠の後押しとなる黄体補充用の薬)が1週間分処方された。HCGも注射した。
しかし、このルトラールという薬は、生理が通常よりも遅れて来るので、もしかして妊娠したかなと変な期待を持ってしまうし、妙にイライラするしで、あまり飲んでいていい気はしなかった。そして、やっぱり生理はやってきた。

2015年4月11日
AIHに再度トライするため、卵胞のチェックに私だけ受診。ゴナピュールの筋肉注射をした。

2015年4月13日
AIHに再度トライするため、卵胞のチェックに私だけ受診。翌々日の4月15日に、AIHをすることになった。

2015年4月15日
平日のため、私だけ午前半休をとって受診した。夫には早朝に自宅で精子を採取してもらい、それを持参してAIHにのぞんだ。ところが、採取した精液の濃度も精子数も、ほぼ0に等しい状態で、AIH前の処理をしようにもできない状態だったため、AIHは中止になった。精液の処理もしていないため、診療費は私の保険診療分のみだった。トライすらできないということで、かなり落ち込んでしまった。病院から駅までの道が、いつもより長く感じた。昼から会社に行くのが精神的につらかった。

2015年5月
4月と同じことが起こるのではとトラウマになってしまい、治療はお休みした。
このあたりから、子どもができなかったときの生活のことも、夫と話し合うようになった。夫は私よりかなり年上のため、夫の母も高齢、夫の兄弟にも子どもがいないということもあり、将来は私が独りになることを懸念していた。ゆえに、私との間に子どもができるのなら子どもがほしいとのことだった。私はというと、血がつながっていても破綻する親子は存在するし、子どもが生まれても自分より先に何らかの理由で死んだり自分の元を去ることもあるわけで、独りにならないようにという理由だけで子どもをもうけることには、あまり重きを置いていなかった。ただ、もともと教員をしていたというの職業柄だろうか、あるいは幼少期~思春期に両親とあまりよい関係が築けなかったトラウマもあるからなのか、人を育てるということについては、強い欲求があった。二人とも一致したのは、子どもとの血のつながりには大きなこだわりはない、ということだった。
では、特別養子縁組はどうか、と調べてみたところ、夫の年齢が高すぎて、養子となる子の福祉に寄与できないということで、これは私たち夫婦には望めないことだった。養子となる子が成人する時に、両親が60歳未満であることが(絶対条件ではないようだが)理想的な条件だった。
(余談:それはそうだろうなとは思ったが、その条件を掲げるがあまり、特別養子縁組がうまく成り立たないケースは多いのではないだろうか。夫婦ともに30代ならば、不妊治療をがんばり続ける夫婦は多いだろうし、治療を続けて夫婦ともに40歳以上になるころには、もう養子縁組の選択肢は無しに等しくなってしまう。年齢や婚姻状態にあるかどうかよりも、養育費がどれだけ出せるか、過去に被虐待歴等がないかどうかなど、総合的に養父養母としての素質があるのかを判断する機関が日本にも必要だろうなあと私は思う。)
では、里親制度はどうか。これは私たち夫婦でも積極的にかかわれることが分かった。里親制度の場合、里子(さとご)の親権は生みの親にあるので、将来的に里子は私たちの元を巣立っていくが、人を育てたいという私の欲求にはかなうことが分かった。夫は諸手を挙げて賛成ではなかったものの、私がそれで幸せになるのなら、ということで、強い反対もしなかった。
自分で子どもを生めなければ、もう私には何も選択肢はないという状況ではないことが分かり、少し希望が見えた。

2015年6月13日
夫と一緒に受診。卵胞のチェックを行ったのち、AIHを継続するかどうかを先生と話し合った。先生の意見は、これだけ精液の濃度や質が芳しくないとなると、AIHを続けても結果が出ないのではないか、早いうちに体外受精に移行してもよいのではないか、ということだった。正直戸惑ったが、私も夫も、最初のAIHがあまりよい条件ではなかったことや、4月の件もあり、なんとなくこのままAIHを続けても結果は出ないかなという気がしていた。夫と話し合い、今月もタイミングだけ取ることにし、夫は再度、別の日に精液検査を受けることにした。この検査でも結果が良くなければ、AIHにこだわらず、体外受精に移行しよう、という判断をとった。
帰り際、夫に、精液のことをあれこれ言われ続けるのもプライドが傷つかないか、と聞いてみた。「そんなことで傷つくなら、はじめから治療に行っていないし、これは治療なのだから、可能性のあることは淡々とやるだけだよ。」と言っていた。夫のそういうところが、年の功なのかもしれないと思った。

2015年6月16日
タイミングを取るため、卵胞のチェックに私だけ受診。

2015年6月22日
ルトラール処方、HCG注射。

2015年7月4日
夫の精液検査のため、夫と一緒に受診。やはり結果は芳しくなかった。ということで、体外受精に踏み切る決意をした。体外受精をするにはまず、体外受精の説明を夫婦で聞き、同意書の提出が必要になるため、その説明日の予約をし、今月もタイミングのみ取ることにした。

2015年7月14日
タイミングを取るため、卵胞のチェックに私だけ受診。

2015年7月25日
体外受精の説明を受けるため、夫と一緒に受診。先生自ら説明があり、その後、カウンセリングの資格を持つ看護師さんによるカウンセリングがあった。先生の説明は、治療のしくみと流れ、費用についてで、30分程度だった。
先生には、「体外受精に入る前に、精索静脈瘤等で夫の造精機能に障害があるのではないか、という疑念を払拭したい」と伝えた。すると、そのような診断を行っている大学病院を紹介していただき、1ヵ月後の予約も取っていただいた。
カウンセリングは、先生の話を聴いて上で、さらに悩むことや迷うことを聞いてもらえる場だった。私たち夫婦の場合、一番の関心事は診療費用だったが、費用については先生にいただいた資料に明朗に記載がしてあったため、特に悩みや疑問は生じなかった。
診療費 トータル¥1,500(自費、体外受精の説明代)

2015年8月上旬
病院からいただいた資料をもとに、体外受精1回に、どのくらいの費用がかかるのかを計算した。採卵~体外受精~受精卵を体内に戻すという流れを1サイクルとして、ざっくりと¥500,000。そこから、私たちの収入で何サイクルのトライができるかを考えた。結果、採卵は2回までが限度、
できた受精卵をお腹に戻していき、妊娠できず受精卵が尽きた段階で私たちの治療は終了、というのが金銭的にも自分たちの納得度としてもベストではないかという結論に達した。
次に、病院からいただいた資料をもとに、体外受精のスケジュールと、互いの仕事のスケジュールを比較して、いつ頃体外受精に踏み切るのがベストなのかを決めた。体外受精では、毎日病院に通う必要がでてくることと、女性側に注射や投薬が集中するが、私は時折、野外で仕事をしたり、仕事で数日家を空けることがあったため、そういう仕事がなくなる10月に体外受精を開始することにした。それまではタイミングは取るものの、結果は気にせず穏やかに過ごそうと夫と決めた。

2015年8月10日 
私だけ受診。体外受精の承諾書を提出した。合わせて、10月から体外受精を開始したい旨も先生に話した。8月9月は、タイミングだけ取るということで先生とも合意した。卵胞のチェックも行った。

2015年8月17日
ルトラールの代わりにデュファストン処方、HCG注射。

2015年8月21日
夫のみ、大学病院を受診。血液検査を行った。

2015年9月25日
夫のみ大学病院を受診。夫はあまり多くを語らなかったが、男性の先生に触診をされ、血液検査の結果と総合的に判断して、「若いころは健康で申し分なかったでしょうね。老化ですね。妊娠を望むなら、早く奥さんと話し合って、体外受精に踏み切ったほうがいいね。」という淡々とした診断をくだされたという。「いやー、男性にこんなところを触られる日が来るとは思わなかった。衝撃だったわー。」という感想だった。
結局、これで私たち夫婦の選択肢は体外受精しかなくなったので、かえって私の心の踏ん切りもついた。


後編に続きます。

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