ちなみに、私の心の中にある東京の象徴は、
これ ↓ ではなくて、その近くにある、
これ ↓ です・・・。麻布台の飯倉交差点にあるNOAビルです。
親が東京に単身赴任をしていたため、私は小さい頃に何度か東京に行ったのですが、父母がわが子に見せてくれる東京は、後から検証するとかなりマニアックでした。
【例】
1983年
「ひろい場所で、ピンクや水色の服を着たお姉さんたちと写真を撮った」
=代々木公園のたけのこ族
1989年
「電気屋さんがいっぱいあるところへ行き、暗くて狭い場所に連れて行かれ、細かい部品がたくさん売っているのを見た」
=秋葉原ラジオセンター
そのような状態で、唯一、電気屋さんの前に見にいった「これぞ」という名物が東京タワーでした。しかし、私にとっては、東京タワーから神谷町駅に向かう途中で見てしまったNOAビルのほうが衝撃でした。入り口がやたら大きいわ、ビルは黒光りしているわ、なんだか位牌のような形をしているわで、とにかく小学生の私にはNOAビルが不気味でしょうがなかったわけです。この日から、私の中では「東京といえばNOAビル」になってしまいました。その後、大学生になり東京で一人暮らしをはじめ、そのまま埼玉で社会人になりましたが、その間、時折NOAビルを見に行っていたほどでした。
調べてみると、NOAビルは1974年竣工で、設計者は白井晟一さんという方だそうです。74年にあんなビルを建てたその感性が斬新だなあと思います。そして、竣工から15年たってから、子どもだった私に忘れられない強烈な印象を与え、今も印象を残し続けているのですから、すごいです。
そして東京を離れ何年もたち、先日、神谷町へ出張したとき、NOAビルをちらっと見ることができました。それが前掲の写真です。なんだか「NOAビルも年をとったなあ」という印象を持ちました。あんなに不気味だったはずなのに、なくなったら寂しいなあと思いました。
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