2011年9月23日金曜日

赤坂~六本木にて

連休中に東京に行ってきました。
目的は、サントリー美術館のヴェネチアン・グラス展だったのですが、美術館のある東京ミッドタウンまで、赤坂を散歩しながら向かいました。

赤坂は、いまから約6年前、短い間ですが私が働いていた場所です。当時はTBSの周辺はすべて再開発工事中。工事用の真っ白な壁がそびえたち、常に工事の音がうるさく、正直さっさと立ち去りたい場所でした。

その白い壁だらけだった場所が、現在の赤坂サカスです。こんなに立派になりました。


赤坂~溜池周辺はとにかく、おいしいランチの店がそれはもうたくさんありました。日本料理、韓国料理、インド料理、イタリアン、フレンチ、創作料理とジャンルも豊富。店同士がしのぎをけずっていたせいか、高ければ当然うまく、安くても当然うまかったです。私が特に大好きだったのが、「あおば」。赤坂のすごく目立たない路地裏にあるお店で、夜は小料理屋ですが、昼の魚定食がほんとうにおいしくて。しかも薄給の私にもうれしい、一食690円でした。「あおば」がまだあるのか、そっと路地裏に入ったら・・・ありました!うれしいですね。

転坂を下って、氷川坂を登って、六本木方向へ。赤坂には、まだこういう静かな路地がたくさんあります。あの頃毎日通っていたのに、決して残業がたくさんあったわけでもなかったのに、なんでもっと赤坂周辺を散策しておかなかったのだろうと、ちょっと後悔するほどです。

よくよく考えると、当時の私には、心の余裕がなかったです。留学するために仕事を辞めて、いわゆる「つなぎ」でこの赤坂の短期の仕事に就いたはずなのに、初めての「オーソドックスな会社」勤めに、失敗は許されないと、ついつい仕事をがんばりすぎてしまったり、がんばりすぎるがゆえ?に、上司に変に気に入られてしまって、IT関係の知識をやたら仕込まれたり、それを業務逸脱だからと、引き受けるべきかどうか真面目に悩んでしまったり(給料をもらって勉強できて、しかもそれが上司の命令だったのなら、どんどんやってしまえばよかったのにと今になって思います。)。一方で、給与が10万ほど減ったので、やりくりを軌道に乗せるのに苦労したり。留学の手続きが予定通りにならなかったり。片道1時間半の満員の通勤列車に参ってしまったり。今ならもっと、打算でいけるところは打算的に、真摯にやるところは真摯にと、力をもうすこしうまくぬいたりかけたりできるのでしょうが。でも、当時の自分には、どうしてもできなかったのです。

そういう自分がいたおかげで、今の自分がいて、こうしてまた、あの時余裕がなくて見ることができなかった景色を見に来られたのだから、結果オーライです。

さて、東京ミッドタウンに到着。赤坂・六本木の再開発地区は、本当に緑を積極的に取り入れているのだなと感じます。池袋や新宿の街が前近代的に見えてしまうほどです。建物の中も、幅や高さにゆとりがあって、ソファや机の配備が多く、すごく行動しやすいと感じます。




今日は本当はひとりで回る予定でしたが、大学時代の知人Kさんと連絡が取れたので、ミッドタウンを二人でまわりました。そのKさんが教えてくれた、Toshi Yoroizuka(川島なお美のダンナさんの店)の、ミッドタウン店で買ったクッキー。翌日、家に客人が来たのでお出ししました。東京でしか買えない珍しいものをありがとう、とてもおいしいと喜ばれました。ありがとうKさん。


ひとりでまわるのも楽しいですが、ふたりでまわると、こんな意外なサプライズもありますね。

2011年9月21日水曜日

本日のいけばな

生花正風体
ユキヤナギ・キク



実は、ユキヤナギをこんなに間引きました。美のためなら惜しまずに間引く、そういう練習でした。

2011年9月20日火曜日

河川の氾濫

今日は、東海地方は大雨で河川の氾濫があり、夕方は名古屋市内でも避難勧告が出て、公共交通機関がマヒしてしまって大変でした。私も例にもれず、退社が少し遅かった(といっても16:00前ですが)がために、自分の乗る路線が運転見合わせになってしまいました。私鉄の本線なので、すぐ復旧するだろうとタカをくくり、名古屋駅のカフェで2時間ほどのんびり復旧を待ってみましたがダメでした。ホテルに泊まってしまうのもありでしたが、台風が来るのは明日なので、明日の方が家に帰れない確率大。しかもあさっては東京出張のため、いちどは家に帰らなければならないと考えると、ホテルは最終手段でした。さてどうしようかと焦りだした17:00頃を過ぎたあたりから、私の"やわらかい"携帯は非常につながりにくくなり、家族とも連絡がうまく取れなくなりました。避難勧告の対象範囲も広がりましたし、通常の退社時間になって、通信が過密になったのでしょう。さすがやわらかい携帯だな~こういうときは電電公社系携帯が強いわね~と思いつつ、公衆電話でなんとか家族と連絡が取れ、家族の指示で地下鉄鶴舞線の沿線の駅まで行き、そこまで家族に車でむかえに来てもらって、やっと家に帰ることができました。

コトは思った以上に深刻だったことを、家に戻って、テレビを見て初めて知りました。守山で庄内川が氾濫、高蔵寺で駅が浸水、その地域の私鉄は昼から運休しっぱなし、20時の段階で、名古屋以西の列車は運転見合わせのまま。名古屋以東は復旧したのですが。

地図をみて納得。全部、庄内川の増水の影響でした。庄内川を下流から上流へたどると、伊勢湾から、名古屋の西を通り、名古屋市守山区、春日井市高蔵寺、岐阜に入って多治見市、土岐市、瑞浪市、そして恵那市に至ります。

多治見・土岐・瑞浪は、昼12時に大雨警報が出ていて、多治見と土岐の間で土砂崩れも起こっていました。この段階で、地理が頭に入ってれば、庄内川はヤバイということがすぐ分かったわけです。名古屋勤務かつ名古屋以西在住の方は、絶対に庄内川をわたらないと帰れないので、お昼の段階でとっとと帰る(もしくは、帰れないのでさっさと寝場所を確保する)必要があったわけです。

一方、名古屋以東には天白川という川が流れており、この川も危険水域に達したため、15:00頃に名鉄とJR東海道線が運転見合わせになりました。この川も、いまGoogleMapで見てみたところ、上流は愛知県の日進市で、市内で上流が3つに分かれていることが分かりました。日進で豪雨が降れば、下流ではあっという間に増水でしょうし、今日はそもそも、下流の名古屋市天白区で強い雨が降り続いたので、増水必至でした。

なので、天白川下流の橋を渡らなければならない名鉄名古屋本線とJR東海道線は、運転見合わせになったわけです。でも、日進市を走る地下鉄鶴舞線-名鉄豊田線と、その北を走る地下鉄東山線は、天白川の上流を下からくぐるので、何の問題もなかったわけで。

河のはしり方、高い土地・低い土地を大まかに知っておくのは、いざというときのために大事だなと思ったのでした。

さて、明日はどうやらこの地方は台風直撃らしいので、引き続き河川の増水や氾濫が心配なところです。今年は雨台風の当たり年なんでしょうか。実家は割りと土地が高いところにありますが、非常持ち出し袋はスタンバっておきます。

あさって、無事に出張できますように。

2011年9月19日月曜日

自炊生活はじめました

連休は「自炊」にあけくれることにしました。

理由
・本と資料が、部屋の3分の1を占めており、このまま地震が来たら、本の下敷きになるのは必至。
・クローゼットに大量の資料が紙媒体のまま押し込んであり、クローゼットをクローゼットとして使えない。
・このクローゼットに気を遣って、ハンガーにかけて保管するタイプの服をあえて買わないようにしているのは、なにか間違っている。
・先のことを考えれば、いつかこの実家を出て行く、もしくは追い出される日が来るので、荷物は少ないにこしたことはない。
・私が突然死んだとき、大事な資料が電子媒体になっていて、パスワードをかけておけば、見られないまま破棄してもらえる・・・かも
・災害にあったとき、財産よりも思い出がなくなるのがつらいと聞いたので、思い出を1個のHDDに収めてしまえば、ひょっとしたら持ち出して逃げられるかもしれないと思った。

自炊対象物
1.大学時代のノート、教科書類
2.前職時代のノート、資料類
3.フィルムカメラで撮影した写真
4.普段は読まないが、参考資料として時々読むことが必要な本
5.IPadか何かで読みたい本

というわけで、機材購入。さっさとほしいものを買えてしまうのが、未婚・実家暮らしのいいところ。
スキャナー:canon DR-C125 38100円
ペーパーカッター:CARL ディスクカッター 10900円
先週金曜日、会社から戻ったら、部屋にどどーんと届いておりました。


開けてみたら、意外とコンパクト。スキャナーは、机の上に置いても邪魔になりません。紙の裁断はキンコーズでもやれますが、持って行くのが大変なので、軽くて縦置きができるディスクカッター式裁断器を購入しました。


我が家で古すぎて使われなくなったパソコンをつなぎ、スキャン開始。いちばんうれしいのは、いったんスキャンを開始すれば、紙詰まりを起こさない限りは、自動でどんどんスキャンしてくれるところです。設定すれば、自動でOCR化もしてくれます。パソコンのメモリが推奨の半分しかないので、動作は恐ろしく遅いのではないかと思いきや、すごく速いです。両面50ページの資料をグレースケールで全部スキャンするのに1分かかるかかからないかです。


こつこつスキャンしていけば、荷物がすっきりする日が来るはずです。

2011年9月18日日曜日

じいさんと飲んできました

祖父と、近所の焼き鳥屋で一緒に飲んできました。
我が家ではこの「孫飲み」は、月に1~2回はあることです。時間が合えば弟も行きます。ですが、世間では「孫飲み」は、意外とめずらしいことのようです。

どちらも身体が丈夫で、同居か近所に住んでいて、どちらも酒が飲めて、飲み屋が好きで、かつ、互いが互いを嫌がらないで一緒にいられる関係でないと、成り立たないんですよね。それに、自分より50歳以上も年上の人と、話がまず合うわけないですから、どちらも合わせる努力ができなければ、最高につまらない飲み会になりかねません。ここを面倒くさいと思うか思わないかが、ポイントかもしれません。

祖父は、酔うと面白い話をたくさんしてくれます。特に、戦後カネもモノもなかった時代の生活の話を聞くと、自分の悩みなんて、悩みどころか贅沢な葛藤に過ぎないなとも思えてきます。

祖父は、亡くなった祖母と結婚したときの話をしてくれました。昔なので、親が勝手に決め、結婚当日まで相手に会ったこともない、という結婚だったそうです。
「どうにも合わない人だったらどうするの??」と聞くと、
「だからといって取り消しはきかないから、どうやって合わせていくか考えるしかない。まあたしかに、合わない人だったかもしれん(爆)。互いに自分を5割出しにしてれば、まあなんとかなるもんだよ。8割出したらうまくいかない。」

祖父の若い頃から60年以上が過ぎて、今は何歳まででもじっくり考えられる猶予期間があり、お相手の選択幅も自分しだいで世界中に広げられ、ウマが合う人間をデータを元に調べつくしてから選んだり、ダメなら離婚だってしてもいいご時世になりました。しかし、うまくやっていく秘訣は、結局「5割出し」なのかもしれません。

敬老になっているのかいないのかわからない飲み会でしたが、今日も一緒に飲めてよかったです。

2011年9月15日木曜日

いただきもの

アメジストです。何かと私を心配してくださる知人からいただきました。
アメジストは「マイナスのエネルギーをプラスに変換し、自分の中にある不安やネガティブな思考を一変させていく。これまでの自分に別れを告げて、新しい世界へ旅立つときに積極的に身につけるとよい。」石なんだそうです。

たしかに、今はネガティブ・・・というよりも、中期の海外生活からの逆カルチャーショック?なのか、息苦しい(生き苦しい)のです。特に、近しい人とも、そうでない人とも、間合いの取り方が、いまだによくわかっていません。とにかく周りに勘違いされます。勘違いがわかって、そこを話し合って修復していけるならベストですが、たいていの場合は避けられてしまって、それきりです。

相手がどんな人なのかなんて完全には分からないから、どんどん話しかけていくという手法を私はとりがちです。もちろんそういうやり方が嫌いな人もいるのは分かっています。嫌いなら「私はそれが嫌い。」といってくれればよいのに、「それは一般的に・女性として・大人として・社会人として、おかしい。」という一般論にすりかえる人の多いこと。ではあなたがたの「一般的に・女性として・大人として・社会人として、ただしい」やりかたを示してくださいよ、と思うのですが。それを示してもらえることまでは、人に期待してはいけないようです。

もともと私は、お守りの類を信じるほうではないです。ですが、いまはこれをつけていることで、「戻ってきてまだ半年だ、焦るな。」と自分をなだめてもらっているような気がします。

2011年9月14日水曜日

本日のいけばな

自由花
ケイトウ・マンサク・キキョウ・オミナエシ・ワレモコウ・ススキ

2011年9月10日土曜日

献血帰りにあいさいさんに遭遇

今日は所要で行った先で、献血をしてきました。私は、巷では生まれかわってもなりたくない血液型と評判のB型なわけですが。足りてないようでしたので、9年ぶりにふらっと献血しました。昔は、旅先で献血して、献血手帳に押してもらう「新宿400」「愛知血漿」等のハンコを10箇所全部バラバラにするのが趣味なほど献血してたのですが・・・海外にちょこちょこと行ったりすると、献血に制限が入るため、ごぶさたになっていました。400mLとると、さすがに「抜けたなー」という感じで、ちょっとボーっとしました。

ボーっとしていたら、向こうから、愛知県愛西市のゆるキャラ「あいさいさん」がやってきました。今日はイベントで、ここまで出張してきたそうです。私は仕事で愛西市HPをチェックして以来、ひそかなファンでした。こんなところで会えるとは思いませんでした。ポケットに入っているのは、あいさいさんの友人の、愛西市でとれる野菜達です。


あいさいさんのブログ: http://aisaisan.com/blog/  
10月のゆるキャラ祭りにも参加するそうです。がんばれあいさいさん。

2011年9月9日金曜日

樽見鉄道

樽見鉄道に乗ってきました。


営業キロ(片道):34.5km
乗車時間(片道):約1時間
特徴:変わった漢字を使う駅名が多い(と個人的に思う)。
大垣-本巣は郊外をゆったり走っているのに対し、本巣-樽見は山。トンネルをくぐるたびに勾配が変化し、景色がどんどん変わる。樽見駅から薄墨桜、うすずみ温泉へアクセス可。
鉄道会社のHP:http://tarumi-railway.com/

列車1日乗り降り自由で、樽見駅の先のうすずみ温泉にも入れる、「うすずみ温泉入浴券&1日フリー乗車券」(2200円)が発売されているので、それを利用しました。大垣から樽見まで乗り、温泉でゆっくりしてから、また大垣に戻るという、日帰り温泉プランを立てました。



樽見鉄道のホームは、JR大垣駅のホームの端に、ひっそりとくっついています。なかなかテキトーなのりばの感じが好きです。


行きの列車。ハイモ330-700形。


すっきりした座席です。


運転席。


10:40、大垣駅を出発。乗客は明らかな鉄の方(自分もですが)、熟年旅行サークルらしき方々、一般客という構成。


「モレラ岐阜」を全部ひらがなで書くと、なんかかわいい。ちなみにモレラ岐阜は、ショッピングセンターの名前です。


本巣駅までは田園地帯だったのが、長いトンネルをくぐると、あっというまに山の中に入ってしまいます。


どの駅にも、小さな駅舎がちゃんとあるのも、樽見鉄道の特徴です。



11:45、樽見駅到着。ここからうすずみ温泉まで、無料シャトルバスが出ています。列車の到着・出発の時間に合わせて運行しているので便利です。


樽見駅の先は、線路がずいぶん長く伸びていますが、なぜなんでしょうか。


うすずみ温泉、いいお湯です。お弁当もおいしい。この温泉は、座敷で昼寝もOKなので、帰りのバスまでずっと昼寝していました・・・。


帰りの列車。ハイモ295-610形。


14:58樽見発で、16:02に大垣に戻ってきました。日帰り鉄道旅にはちょうどいいのではないでしょうか。


樽見までなら、愛知県人は車で行ってしまう人がほとんどだと思います。実際、そのほうが自分の都合のよい時間に行けて楽ですから。ひょっとしたら車の方がお金もかからないかも。でも車だと、道中は単なる移動になってしまいます。「もれらぎふってかわいい~♪」と思うこともおそらくないでしょう。途中の景色や、他の乗客の行動が交錯し、移動が単なる移動じゃなくなるから、鉄道旅は面白いし、私はやめられないのかもしれません。

2011年9月7日水曜日

アイスにかける醤油

友人S氏からのいただきものです。外側の梱包に、「品名:アイスにかける醤油」と書いてありました。


アイスにかけると、キャラメルやみたらしだんごのような味がするとな・・・。


半信半疑のまま、たまたま家にバニラアイスがあったので、試してみました。・・・本当でした。おいしかったです。醤油自体が美味しいから、こんな食べ方ができるのでしょうね。その後、この醤油は、我が家では料理に、たまにアイスに活躍しています。おいしいものをありがとう、S氏。

本日のいけばな

生花正風体
エニシダ・リンドウ

2011年9月3日土曜日

もやしもんの泡盛

先月、沖縄に行ったときに買ってきた、石垣島の請福(せいふく)酒造さんの「もやしもん泡盛」です。
現地で食事中に、請福を勧めていただきました。美味しかったのでお土産に買って帰ろうと酒屋に入ったら、このコラボボトルを発見しました。
請福酒造ホームページ:http://www.seifuku.co.jp/
もやしもん:http://www.kamosuzo.tv/top.html


外箱正面


外箱うら面


ボトル

この泡盛、なぜか沖縄から戻ってきて、ずっと仏壇に供えっぱなしでした。うちの祖父が「あの泡盛はいつ開けるんだ?」と最近よく言うので、今日開封してみました。あまりクセがない分、すーっと飲めてしまうので…飲みすぎるとキケンですな。


【おまけ】
ちなみに…今日、このお酒も我が家の戸棚の奥深くから発掘されました。私が13年前に与那国島に行ったときに買った花酒「どなん」です。未開封。なのに栓がゆるくて中身が蒸発したのか、中身が減っていました。味は古酒化しているのでしょうか?怖くてまだ開けていません・・・。


どなんのアルコール度数は60度です。