2017年2月24日金曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航 その8:2017/2/24~25

2月24日(金)

朝早く朝食をとり、パッキングを済ませました。10:00にチェックアウト、すぐに空港へ移動しました。
チェックインと手荷物検査を済ませ、フライト前にコペンハーゲン空港のナーシングルーム(授乳室&おむつ替えルーム)を利用しました。
特に明記はありませんが、男性も女性も関係なく入室できるようです。私が中に入った時、すでに一組の夫婦がオムツ替えをしていました。


中に入るとおむつ替え台と水道があります。水道は冷水も温水も出ます。


壁の絵もかわいいです。


おむつ替え台の反対側に、授乳室があります。入り口はカーテンがついています。


ミルクや食べ物を温めるためのレンジもあります。

子どもと一緒に入れるトイレもあります。


13:05、デンマークを発ちヘルシンキへ向かいました。行きにヘルシンキからコペンハーゲンに来るときは、子がギャン泣きをして私はオロオロしたのですが、帰りは私も肝がすわってきて、機内でちょっと子が泣いてもうまい具合にあやして過ごすことができました。隣の席の方も年配の女性で、ちょっとぐらい泣いたって大丈夫よと言ってくれました。


15:30ヘルシンキに到着。EU出国手続きの後、ひとまず子のおむつ替えへ。こちらのナーシングルームは、個室で鍵がかかるようになっていました。
 
おむつ替えに奮闘する夫と、待機するうちの子。

シャワー付きの水道。何の用途かはよくわかりませんでした。子のおしりを直接洗うことができる?


いろいろなナーシングルームや、トイレのおむつ替え台を使いましたが、フィンランドでもデンマークでも印象的だったのが、男性用の公衆トイレにもおむつ替え台があったことです。「おむつ替え台あり」を意味するピクトグラムの看板が公衆トイレの入り口についていたので、夫に男性トイレの中を確認してもらったところ、確かに男性トイレにもおむつ替え台がありました。私は、日本で男性用の公衆トイレにおむつ替え台があるのを見たことがありません(そもそも男性トイレに入れない)が、男性が一人で子の面倒を見ることもありうるわけで、男性用の公衆トイレにもおむつ替え台があってしかるべきだよなあと妙に納得してしまいました。意外と日本のイクメンお父さんは困っているのかもしれません。こんなものが印象に残らなくなるくらい、男女どちらの公衆トイレにもおむつ替え台があるのが普通になったら、ほんとうの男女平等なのかもしれません。


予定では、乗り換えの時間が1時間くらいしかなかったのですが、飛行機の到着遅れで、次のフライトまで3時間くらいの時間の余裕ができてしまいました。せっかくなので、免税店をゆっくり見て回りました。そういえば自分たちのお土産を全く買っていなかったなと。


自分たちのお土産は、アラビアのフィンランド独立100周年記念マグカップにしました。
左が私チョイス、右が夫チョイス。


手持ちのユーロでこんなものも買いました。フィンランドのチーズです。これは以前私がフィンランドを旅行した時に食べてとても気に入り、もう1回食べたいと思っていたものです。


フライトまでまだまだ時間があったので、思い切ってレストランに子連れで入って食事をしました。おしゃべりが絶えないカジュアルなレストランであれば、夫と私と交代であやせば子連れでもなんとかなるものだなと思いました。


私は調子こいてサーモンピザを頼んだら、1人前が巨大すぎて絶句でした。


夫はオープンサンドとフィンランドのビール。

19:00名古屋へ向けてフライト。お隣の席の方はなんと、たった2ヶ月の子どもを連れたお母さんでした。旅行ではなく必要に迫られて移動しているように見受けられましたが、2か月とは・・・。産後2ヶ月となると、まだ母体も本調子ではなく、子どもの首もすわってないので、国内移動だけでも大変だと思います。やっぱり、腹をくくったお母さんはみんな強いなと思いました。


--------------------------
2月25日(土)
帰りの機内では、子も私も、かなりうとうとしている時間が長く、あっという間に日本についてしまいました。11:00過ぎにセントレアに到着しました。昼過ぎに自宅に戻ってきました。子の健康状態は全く問題ありませんでした。私だけがその後ひどい風邪をひき、1週間ほど調子が戻りませんでした。それでも、デンマークに行ったことを私は全く後悔していません。

帰国してから、今回会った人たちに、こんなお礼のメールを送りました。
「会ってくれて本当にありがとう。S(うちの子)は今回の出来事を何も覚えていないでしょう。けれど、彼女がこれから生きていく中で、今回の経験が潜在的に役に立つことがきっとあると思います。私は子どもが生まれたら、自分のやれる事が制約されてしまうと思っていました。でも今では、Sが私にいろいろ挑戦するきっかけをくれると思っています。たとえば、Sが生まれなかったら、きっと私は今回のタイミングでデンマークに行こうと思わなかったでしょう。」

子がもう少し大きくなったら、今回のデンマーク訪問のことを話してあげたいと思います。いろいろな人が子のことをかわいがって抱きしめてくれたこと、いろいろな人が行く先々で助けてくれたこと、がんばって飛行機に乗ったこと、伝統的な乳母車に乗ったこと、子自身がいつも笑っていたこと。
またみんなに会いに行こうね。

2017年2月23日木曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航 その7:2017/2/23

2月23日 (木)

レストランに朝食を食べに行く時、私は憂鬱でした。いままで子を連れて飲食スペースに入ったことがなく、レストランに入った食事中に子がぐずって泣き始めてしまったらどうしようかと心配していたからです。夫と私と、順番に別々に食事に行くことも考えたのですが、早朝の空いている時間に思い切って3人で行くことにしました。実際は憂鬱になるほど心配する必要はありませんでした。夫と私と交代で子をあやしながら交代で朝食をとればよく、大泣きしたらさっさと退散しようと自分自身が心の中で割り切っていればよいだけのことでした。
 



午前中、天気が良かったので、ベビーカーで少しだけ、ストロイエ(コペンハーゲンの目抜き通り)を散歩しました。これが今回の、最初で最後の一瞬の観光になりました(笑)。立ち寄ったおもちゃ屋で、子に積み木を買いました。使うのはまだまだ先になりますが。
自転車に乗った人が含まれているあたりが、なんともコペンハーゲンらしいと思います。


お昼前に友人のIさんに車で迎えに来ていただき、午後はIさんのお宅でお昼とお茶をして楽しく過ごしました。Eさんも来てくれました。「うーん、うちの子、ひょっとしたらEさんの子だったのかもしれないな(笑)。」とぼんやり思ってしまうほど、Eさんは子のお世話がプロ級に上手で、子も抱っこしてもらってうれしそうでした。おかげで夫も私もゆっくり食事をとることができました。

Iさんは自身のお子さんが小さかった時のことを話してくれました。Iさんが一貫してお子さんを大切に大切に育ててきたのだと思うと同時に、その瞬間瞬間が常に大変で、子どもが成長したらしたなりに、新たな課題が次々とやってくるのが子育てなのだなと改めて思い知らされました。

デンマークに行くたびに私が会いに行くお二人ですが、このお二人と話をしていると、何が普通で、何が常識で…と、いちいち空気を読んで行動しないといけない日常世界、またそういう人に囲まれてストレスがたまる日常世界から解放されて、私は安心して(いい意味で)変人でいられるのがとても楽なのだと思います。


ホテルに戻って17:00頃、ロスキレフェスティバル仲間であるLさんとJさんが、ホテルまで私たちを訪ねて来てくれました。2012年のロスキレフェスティバルで会って以来、実に4年半ぶりの再会でした。Facebookで日常的にやり取りがあるので、前に会ってからそんなに月日が経っていたことにお互い驚きました。
Jさんは現在子育て中で、ロスキレフェスティバルに行くのはお休み中。とてもパワフルなお母さんになっていました。お互い育児を頑張ろうねと励ましあいました。
Lさんは今年もロスキレフェスティバルに参戦するそう。子どもの頃から参戦していて、今年で22回目(!)の参戦だと言っていました。
30分ほどの短い時間にもかかわらず、こうしてわざわざ私たちに会いに来てくれたことをとても嬉しく思いました。他のロスキレフェス仲間にもよろしくと伝えてもらいました。Lさんは、「またC(私)の誕生日にフェス会場から皆で電話をかけるよ。」と言ってくれました(私の誕生日は、必ずロスキレフェスティバルの期間中に来るので、誕生日の当日にフェス仲間から電話がかかってきて、誕生日ソングを歌ってくれます・・・。)。
LさんとJさんにいただいた子の服。"KONGES SLØJD"というコペンハーゲンのベビー用品ブランドのものです。 こういうシックな柄は、日本の赤ちゃん服にはあまり見かけないので、いただけてうれしいです。


LさんJさんが、夜は吹雪になるよと言っていたので、急いで夕食を買いに行きました。コペンハーゲン中央駅へ。
いつの間に駅の中にスタバができたのでしょうか。


駅の中のスーパーで、夕食を買うついでに一緒にこれを買いました。赤ちゃん用液体ミルクです。日本に持ち帰りましたが、まだ使用していません。実際に子に飲ませた時にまたレポートしてみたいと思います。
→追記。使用しました。レポートはこちら
左が0~6ヶ月までの赤ちゃん用、右が6ヶ月以上の赤ちゃん用。常温保管可能。


私はどうやら風邪をひいてしまい、鼻も喉もひどく痛くなっていたので、パッキングもそこそこに眠りました。デンマークで過ごす最後の夜でした。次の日はもう日本に帰らなければならないなんて信じられませんでした。この1週間は恐ろしく早く過ぎ去りました。

会いたい人、子どもの顔を見せたい人はもっとたくさんいたのですが、1週間だとこのぐらいが体力的にも限度でした。大学を訪問したときに教授も言っていましたが、旅は2週間ぐらいかけてゆっくりする方がやっぱりいいです。1週間目は移動の疲れと時差ボケからの回復期間、2週目からが旅の本番(笑)。

2017年2月22日水曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航 その6:2017/2/22

2月22日(水)

FさんLさんがベルギーへ旅立った日の朝は、Tさんと私たちだけで朝食をとりました。

朝食の際にTさんが、蜂蜜の小瓶を出してきました。なんと、Tさんが作った蜂蜜でした。Tさんは郊外の庭付きの家を借りて、週末のみ畑作業や蜂蜜作りをしているのだそうです。Tさんはまだまだ若い20代なのですが、ハイセンスで素敵な趣味を持って暮らしていることをうらやましく思いました。

蜂蜜作りには今年初めてトライしたそうで、予測では数キロ単位の蜂蜜がとれるはずだったのが、なぜか850グラムしかとれなかったとのこと。それでも自分で作った蜂蜜を食べるのはとてもいい気分だと言っていました。

また、Tさんの話では、今年は異常気象の影響か、ミツバチが通常花粉を集めている花とは別の花からも花粉を集めているとのこと。ある地方の蜂蜜は、ブラックベリーの花から花粉を集めてしまい、蜂蜜の色が黒くなってしまったが、珍しさから三ツ星レストランでもてはやされたそうです。

さらにTさんは、自分で会社を立ち上げようと計画していました。その会社は、ビールの試飲会をプロデュースする会社なのだそうです。これはお父さんであるFさんの影響でしょうか。チャレンジ精神があって、ひたすら感心するばかりでした。そういえば最近、自分は守りに入りがちだなあと気づかされました。

それにしても、私がFさんLさん宅にホームステイをしていた10年前、息子のTさんはまだ高校生で、なかなかTさん自ら話題を提供して話をすることがなかったのですが、今ではこちらが驚くほどいろいろな話題を提供してくれるようになりました。大人になるってこういうことなのかもしれないなとしみじみ思いました。

9:00、Tさんの運転でオールボー空港へ。子も、このころにはこちらのチャイルドシート(Autostol)にすっかり慣れて、嫌がらなくなっていました。
空港へ向かう途中にて。安城市が日本のデンマークならば、デンマークはヨーロッパの安城市(嘘)。


フライトは午後ですが、荷物が多いので先にチェックインだけしました。なんと、オールボー空港のスカンジナビア航空の有人チェックインカウンターは無くなっており、完全にオートメーション化されていました。自動チェックイン機でチェックインし、荷物タグを自分で取り付け、荷物を下の写真の機械に通して預けました。
昭和生まれのアナログな自分は、本当に荷物が預けられたのか半信半疑でした。


チェックイン後、オールボーに住むMさんのお宅まで車で送ってもらい、そこでTさんとはお別れしました。「なにか私が助けられることがあったら助けるから、遠慮なく連絡をしてね。あなたは私の大切な弟ですよ。」と伝えてお別れしました。

フライトまでの間、2年ぶりに再会したMさんと一緒にお茶とランチをしました。ここでもiPadの話題になりました。Mさんも、お子さんたちにiPadを持たされた(?)とのことでした。持たされたからには使わざるを得ないということで、少しずつ活用範囲を広げているとのことでした。Mさんと話をする中で、iPadでこんなことができるのか!と私もいろいろ発見することができました。私のノートパソコンはOSのサポート期間が過ぎてしまったので、次に購入するならタブレットもありだなと考えたのでした。

時間はたっぷりあったのに、話をしているとあっという間に時間が来てしまいました。Mさんの、来る者拒まず、でも深入りしすぎず、なんだか温かい、そんな絶妙なコミュニケーションが心地よかったです。子もかわいがってもらい、幸せな時間でした。

16:00、コペンハーゲンへ飛び立ちました。45分のフライトで、のぼったらすぐおりる路線のため、離着陸時に子はぐずりました。ただ、Mさんのお宅でよく眠っていたので、体力的には問題ないようでした。


16:45、コペンハーゲン空港に到着。18:00頃ホテルに到着しました。もうなかなかデンマークに頻繁に来ることが難しくなるでしょうし、子連れということでフロント対応がしっかりとしたホテルに泊まりたかったので、今回は奮発して5つ星のラディソンブルロイヤルホテルに泊まりました。このホテルは、デンマークの有名な建築家アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)が設計したホテルです。

私は建築の事は詳しくないので良さがいまいちわからないのですが、確かにこの椅子の座り心地はよかったです。なんだか包まれていて安心するというか。


お部屋もオサレでした。コロコロしているわが子。


リクエストしておいたベビーベッドもお部屋に入っていました。これがあったおかげで、私は自分のベッドで安心して眠ることができました。北欧のホテルのベッドは意外と横幅がないので、子に添い寝すると、寝ている間に子がベッドから落ちそうで結構怖いのです。
子は持参したスリーパーに入ると、意外とあっさり眠ってしまいました。夜中は授乳で何回か起きましたが。


外は強風で、あまり子連れで出たくなかったので、晩ご飯は近所のスーパーでささっとサンドイッチ類を調達しました。ついでに私がデンマークで食べておきたかったものも買いまくりました。

その1。RisifRutti。ミルク粥に生クリームが加わったものに、ベリのソースをかけて食べるデザートです。11DKK=約170円。

ごはんに牛乳をかけて生クリームとジャムを乗せて食べたら不味いのに、どうしてこれはおいしいと思えるのか、自分でもわかりません。


その2。Riskiks。米のパフを円形に固めたものにチョコレートがかかっているお菓子。腹持ちが良くて、チョコレートが使われている割には、意外とカロリーが低いのです。6枚入り16DKK=約260円。
ポン菓子にチョコがかかっていると思っていただければ。
6枚で500kcalです。1枚83.3kcal(ソース)


その3。Bornholmske rugkiks。デンマークのボーンホルム島で作られているライ麦クッキーです。
クッキーというよりもクラッカーに近いです。26DKK=約430円。

パリパリ感とほのかな甘さがクセになります。


その4。オレオの「ダブルクリーム」。オレオのクッキーとクリームをばらして食べるのが好きな人の野望を叶えるクッキーです。食べてみましたが、やっぱり日本のヤマザキナビスコのオレオとは全然味が違いました。とにかくクッキーもクリームも甘さがクドい。そしてクッキーがパッサパサ。ヤマザキナビスコのオレオが恋しいです。

たしかにクリームの厚みが通常の2倍くらいありそうですが、クリームの直径が通常のものより小さい気が。

1枚71kcal。これなら私はRiskiksを食べます。


夫はこの日まで毎日のようにデンマーク語&英語漬けになっていて、脳がオーバーヒート気味だったようで、TUBORGのビールをおいしそうに飲んで早々に眠ってしまいました。

2017年2月21日火曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航 その5:2017/2/21

2月21日(火)
午前中は、Tolneという町で”TOLNE GJÆSTGIVERGAARD”というペンションを経営しているGさんJさん夫妻のところへ行ってきました。この夫妻にもうちの子と1ヵ月違いの赤ちゃんがいて、初めて対面しました。言葉を話さない子ども同士が、大人には分からない「何か」でお互いを探りあっている様子は、とても興味深いものでした。

TOLNE GJÆSTGIVERGAARDは、現在も少しずつ建物内をリノベーションしながら営業していて、夫妻はいかにしてお客を呼び込むかを模索中でした。Tolneが属しているデンマークの北ユトランド地方は、夏になると主にノルウェー、スウェーデン、ドイツなどから観光客がたくさん来るのですが、風光明媚な観光地は海岸沿いに点在しているので、森の中にあるTOLNE GJÆSTGIVERGAARDはなかなか知名度が上がっていないのが現状のようです。ましてや日本人観光客にとっては、デンマーク観光の範囲は首都コペンハーゲンからアンデルセンのゆかりの地オーデンセくらいまででしょうから、Tolneを知る人はほんのわずかだと思います。しかしGさんは日本語がペラペラなので、日本人にとってはこれほど便利な穴場宿もないと思うのですが・・・。北ユトランドは、コペンハーゲンからは遠いですが、実はお隣スウェーデンのヨーテボリからはフェリーの定期便があり、3時間強で対岸の北ユトランドのFrederikshavnに行けるのです。TolneはFrederikshavnから列車で2駅です。

Jさんに、デンマークの紙おむつ事情について聞いてみました。Jさんがお子さんに使っている生協の紙おむつが、Mサイズで1枚あたり0.92DKK=約15.1円。日本のものよりやや割高です。パンパースなどのブランドものになると、もっと値段が高いとJさんが言っていました。せっかくなので、自分が日本から持ってきた紙おむつと、Jさんのお子さん用の紙おむつを数枚交換してもらいました。デンマーク生協の紙おむつは、日本の紙おむつのようなキャラクターの絵などは一切なく、とてもシンプルなデザインで、尿を検知するラインも入っていません。実際に使ってみて、吸収力や着け心地はほとんど変わらないと思いました。ただ、いったん尿を吸収してしまうと、明らかにムレているなあと感じました。どれだけ尿を吸収してもムレずに表面がサラサラなのは、日本の技術力のたまものなのだとあらためて思いました。
デンマーク生協紙おむつの前面。
尿の検知ラインは便利なのでついていてほしいものの、デザインに関しては、私はこのぐらいシンプルで充分だと思います。逆に日本の紙おむつが、なぜどのメーカーもごちゃごちゃとキャラクターの印刷がすさまじいのかが、私には謎です。デザインを思い切りシンプルにした分単価を抑えた紙おむつがあってもよいのに・・・?


FさんLさん宅に戻る前に、駅前のパン屋”Ingeborg”に立ち寄りました。Sindalに来たらば購入必須のライ麦パン(Rugblød)を一斤買いました!Ingeborgのライ麦パンは世界一美味しいと私は思っています(よそのパン屋のライ麦パンを食べたことはありませんが・・・。)。私はスーパーで売られているライ麦パンは苦手で食べられませんが、Ingeborgのライ麦パンだけは何切れでも食べてしまいます。3~4日程度であれば常温保管でもカビないので、日本に持ち帰るお土産として買いました。
ちなみにIngeborgは、私がデンマークに住んでいた時、火事になったことがあり、半年以上操業ができなくなったことがあります。その間、町は失望の闇に包まれました。IngeborgのパンがないSindalの朝なんて、もはや朝ではなかったのです。


午後は、FさんLさんの息子Tさんが久々に実家に帰ってきて、皆でゆっくりランチとお茶をしました。その間にもゲストが何人か来てくれて、久々の再会を喜びました。お茶での話題は、私が初めてFさんLさんの家にやっかいになってからもう10年がたったという話に始まり、この10年の間にデンマークのいろいろなものが日本で手に入るようになり、逆に日本のいろいろなものもデンマークで手に入るようになったという話になりました。

例えば、デンマークの北ユトランドのTverstedという町を拠点に作品を発表している、ニット作家のMarianne Isager氏がプロデュースする毛糸は、10年前の日本では知る人ぞ知る存在だったものが、今ではデパートの北欧関係の催事でよく見かけるようになりました。私は、名古屋で開催された北欧展で、Isager氏の毛糸を扱う店のパンフレットを入手し、そこにTverstedで行われたニットのワークショップが紹介されていて驚いた話をしました。

Tさんからは、今、日本のクラフトビールがヨーロッパでとてもメジャーになりつつあるという話を聞きました。Tさんは、オーフスという街のバーでバーテンダーをしているのですが、そこには常陸野ネストビールのサーバーがあるとのこと。

また、Fさんは、趣味でクラフトビールの頒布会に加入していて、世界のいろいろなクラフトビールが月に5種類届くそうですが、そこで偶然、COEDOビール伽羅を入手したそうです。私は、COEDOビールが作られている川越という街がどんな街なのかや、COEDOの意味、伽羅の意味などをデンマーク語で説明しました。


夜はFさんが料理を作っている間、Lさんが子と遊んでくれました。Lさんは、「あなたが昔ここに一人で来たように、この子が大きくなったら、こんどはこの子一人で、おじいさんおばあさんになった私たちを訪ねてきてね。だからあなたは今からこの子にデンマーク語を教えておいてね(笑)。」と言っていました。


晩ごはんはFさんお手製の、きのこと鶏肉の炒め物でした。


夜もCOEDO片手に話は尽きず・・・。翌日、私たちはコペンハーゲンへ、Tさんはオーフスへ、FさんLさんは早朝から車でベルギーへ旅行に行くため、この日の晩が全員で話ができる最後の時でした。いつまでもこんな夜が続いたらいいのになあと思いました。ほんとうはもう2~3日、ここでのんびりと過ごしたかったです。

FさんLさんは、桜が咲く時期に日本への旅行を考えているとのこと。夫が英語で、「そのときはよろこんで手助けするよ!」と頑張って伝えました。
はるばるここまで来て、このビールを飲むことになるとは・・・。


翌朝早朝4:00ごろ(!)FさんLさんはベルギーへ旅立っていきました。
外国でありながら、子連れでありながら、まるで日本でのいつもの生活のように平穏に、かつ楽しく過ごせたのはFさんLさんのおかげ。本当に感謝です!

2017年2月20日月曜日

第2の故郷デンマークへ里帰り子連れ渡航 その4:2017/2/20

2月20日(月)

列車とバスで大学まで行き、大学院生時代にお世話になった教授とラボの方々に会いに行きました。

段差がばっちりある電車にも乳母車(Barnevogn)を乗せていきました。夫と私の2人だけでBarnevognを電車に乗せるのはなかなか大変なので、周りの乗客にも手伝ってもらいました。私もデンマーク在住時にBarnevognの乗せおろしを数回手伝ったことがありますが、どの人もたいてい、頼めば嫌な顔をせず手伝ってくれます。知らない人でもBarnevognやベビーカー類の上げ下ろしは手伝うのが当たり前という感じです。
ドアにはこのような段差があります。


デンマーク国鉄DSBの列車には、自転車、車椅子やBarnevognを乗せられる車両があります。この車両は、必然的に子どもが多くなって静かではなくなるので、子がぐずったりさわいだりしても乗客が割と寛容なのがありがたいです。そもそも、騒がしいのが嫌いな乗客は、サイレンスゾーン(Stillezone)がある別の車両に乗るのです。サイレンスゾーンでは騒ぐどころかおしゃべりも一切無しです。こういう割り切った住み分けは日本の鉄道会社も採用してほしいなあと思います。在来線では無理でも新幹線なら、例えば出張で静かに寝ていたい人用の車両と、観光に行くから朝からテンションあげて騒ぎたい人の車両が分かれていてもいいのではないかと・・・。
しかしBarnevogn、でかい。子は中で爆睡していました。


12:40、オールボー駅に到着。駅の中のチケットオフィスが閉鎖され、代わりに駅内セブンイレブンの敷地が広くなっていて、セブンイレブンが切符取扱いを兼ねていました。DSBの人員削減なのでしょうけれど、こういう国営サイドの思い切った削減がものすごいスピードで行われている印象を受けました。もう中央郵便局もなくなりましたし・・・一応、オールボーはデンマークで4番目に大きな都市なのですけれどね。
この駅舎、「世界の車窓から」で取り上げられていました。


バスにも思いきりBarnevognを乗せました。乗せやすいように、運転手さんがバスの床を下げてくれました。このバスは私が大学院生だった当時、通学で毎日乗っていて、何度かママたちがBarnevognを乗せているのを見ていました。
いっぺんやってみたかったんです、これ。
外は風雨ともに傘がさせないほど強かったですが、子は中で爆睡していました。


13:30、大学に到着。P教授、K教授と、ラボのHさん、Sさんが迎えてくれました。特にラボのHさんは、私の出産をとても祝福してくれました。Hさんは私が大学院生をしていた当時、将来の妊娠に影響する可能性があるからと、むやみに薬品類に曝露してしまわないように、実験に関して非常に細やかで的確な指導をしてくださった方でした。私が出産の時に子宮内反を起こして大出血をしたことも知っていて、大変心配していたとのこと。無事に再会できて本当によかったと言ってくれました。

今回私は、あらかじめここで話したいことを事前にまとめて、英語やデンマーク語でどうやって伝えたらよいかを考えておいたので、うまく話を切り出すことができました。外国語で会話をするときに私がよく陥りがちなのが、その場で何を話すか頭の中でまとまっておらず、結局他の人が話を切り出してしまい、盛り上がっているのを一生懸命聞いて理解するだけで精一杯になり、自分の話したい事は何も話せなかったというパターンです。今回は、皆さん親身に私の話を聞いてくださり、いろいろなアドバイスを下さいました。本当にここに来てよかった、ほっとしました。話をしている間、子の世話は夫が一手に引き受けてくれました。夫にも感謝です。
皆さんにお祝いとして頂いた、不気味かわいいBamseのハンドパペット。
うちの子は毎日Bamseにハグしてかじりついています。


帰りの列車は、IC4というDSBの新しい車両でした。IC4は2007年運行開始予定だったのに、計画が遅れに遅れ、結局私がデンマークに住んでいた間は乗ることができなかった幻の車両です。Barnevognを乗せられる車両の入り口は段差がなくなっていて、乗り降りがスムーズになっていました。
なんと、IC4はコペンハーゲン行きのインターンシティではなく、
ローカル区間の列車として使用されていました。
もうあのローカル区間用超絶ボロ列車は走っていないのか…。


子は中で爆睡していました。


左がIC4、右が従来から運行しているIC3。新旧夢の競演。
どうでもいいですがIC3はぺヤング、IC4はオカイコさんに似ています。


FさんLさん宅に戻ったのは17:30でした。晩御飯はFさん特製のローストポーク(Flæskesteg)でした。ビールはThistedブルワリーの"KLITHEDE"




ほんとうはFさんLさんといろいろお話がしたかったのですが、私は睡魔にやられました。