午前中は、Tolneという町で”TOLNE GJÆSTGIVERGAARD”というペンションを経営しているGさんJさん夫妻のところへ行ってきました。この夫妻にもうちの子と1ヵ月違いの赤ちゃんがいて、初めて対面しました。言葉を話さない子ども同士が、大人には分からない「何か」でお互いを探りあっている様子は、とても興味深いものでした。
TOLNE GJÆSTGIVERGAARDは、現在も少しずつ建物内をリノベーションしながら営業していて、夫妻はいかにしてお客を呼び込むかを模索中でした。Tolneが属しているデンマークの北ユトランド地方は、夏になると主にノルウェー、スウェーデン、ドイツなどから観光客がたくさん来るのですが、風光明媚な観光地は海岸沿いに点在しているので、森の中にあるTOLNE GJÆSTGIVERGAARDはなかなか知名度が上がっていないのが現状のようです。ましてや日本人観光客にとっては、デンマーク観光の範囲は首都コペンハーゲンからアンデルセンのゆかりの地オーデンセくらいまででしょうから、Tolneを知る人はほんのわずかだと思います。しかしGさんは日本語がペラペラなので、日本人にとってはこれほど便利な穴場宿もないと思うのですが・・・。北ユトランドは、コペンハーゲンからは遠いですが、実はお隣スウェーデンのヨーテボリからはフェリーの定期便があり、3時間強で対岸の北ユトランドのFrederikshavnに行けるのです。TolneはFrederikshavnから列車で2駅です。
Jさんに、デンマークの紙おむつ事情について聞いてみました。Jさんがお子さんに使っている生協の紙おむつが、Mサイズで1枚あたり0.92DKK=約15.1円。日本のものよりやや割高です。パンパースなどのブランドものになると、もっと値段が高いとJさんが言っていました。せっかくなので、自分が日本から持ってきた紙おむつと、Jさんのお子さん用の紙おむつを数枚交換してもらいました。デンマーク生協の紙おむつは、日本の紙おむつのようなキャラクターの絵などは一切なく、とてもシンプルなデザインで、尿を検知するラインも入っていません。実際に使ってみて、吸収力や着け心地はほとんど変わらないと思いました。ただ、いったん尿を吸収してしまうと、明らかにムレているなあと感じました。どれだけ尿を吸収してもムレずに表面がサラサラなのは、日本の技術力のたまものなのだとあらためて思いました。
デンマーク生協紙おむつの前面。
尿の検知ラインは便利なのでついていてほしいものの、デザインに関しては、私はこのぐらいシンプルで充分だと思います。逆に日本の紙おむつが、なぜどのメーカーもごちゃごちゃとキャラクターの印刷がすさまじいのかが、私には謎です。デザインを思い切りシンプルにした分単価を抑えた紙おむつがあってもよいのに・・・?
FさんLさん宅に戻る前に、駅前のパン屋”Ingeborg”に立ち寄りました。Sindalに来たらば購入必須のライ麦パン(Rugblød)を一斤買いました!Ingeborgのライ麦パンは世界一美味しいと私は思っています(よそのパン屋のライ麦パンを食べたことはありませんが・・・。)。私はスーパーで売られているライ麦パンは苦手で食べられませんが、Ingeborgのライ麦パンだけは何切れでも食べてしまいます。3~4日程度であれば常温保管でもカビないので、日本に持ち帰るお土産として買いました。
ちなみにIngeborgは、私がデンマークに住んでいた時、火事になったことがあり、半年以上操業ができなくなったことがあります。その間、町は失望の闇に包まれました。IngeborgのパンがないSindalの朝なんて、もはや朝ではなかったのです。
午後は、FさんLさんの息子Tさんが久々に実家に帰ってきて、皆でゆっくりランチとお茶をしました。その間にもゲストが何人か来てくれて、久々の再会を喜びました。お茶での話題は、私が初めてFさんLさんの家にやっかいになってからもう10年がたったという話に始まり、この10年の間にデンマークのいろいろなものが日本で手に入るようになり、逆に日本のいろいろなものもデンマークで手に入るようになったという話になりました。
例えば、デンマークの北ユトランドのTverstedという町を拠点に作品を発表している、ニット作家のMarianne Isager氏がプロデュースする毛糸は、10年前の日本では知る人ぞ知る存在だったものが、今ではデパートの北欧関係の催事でよく見かけるようになりました。私は、名古屋で開催された北欧展で、Isager氏の毛糸を扱う店のパンフレットを入手し、そこにTverstedで行われたニットのワークショップが紹介されていて驚いた話をしました。
例えば、デンマークの北ユトランドのTverstedという町を拠点に作品を発表している、ニット作家のMarianne Isager氏がプロデュースする毛糸は、10年前の日本では知る人ぞ知る存在だったものが、今ではデパートの北欧関係の催事でよく見かけるようになりました。私は、名古屋で開催された北欧展で、Isager氏の毛糸を扱う店のパンフレットを入手し、そこにTverstedで行われたニットのワークショップが紹介されていて驚いた話をしました。
Tさんからは、今、日本のクラフトビールがヨーロッパでとてもメジャーになりつつあるという話を聞きました。Tさんは、オーフスという街のバーでバーテンダーをしているのですが、そこには常陸野ネストビールのサーバーがあるとのこと。
また、Fさんは、趣味でクラフトビールの頒布会に加入していて、世界のいろいろなクラフトビールが月に5種類届くそうですが、そこで偶然、COEDOビール伽羅を入手したそうです。私は、COEDOビールが作られている川越という街がどんな街なのかや、COEDOの意味、伽羅の意味などをデンマーク語で説明しました。
また、Fさんは、趣味でクラフトビールの頒布会に加入していて、世界のいろいろなクラフトビールが月に5種類届くそうですが、そこで偶然、COEDOビール伽羅を入手したそうです。私は、COEDOビールが作られている川越という街がどんな街なのかや、COEDOの意味、伽羅の意味などをデンマーク語で説明しました。
夜はFさんが料理を作っている間、Lさんが子と遊んでくれました。Lさんは、「あなたが昔ここに一人で来たように、この子が大きくなったら、こんどはこの子一人で、おじいさんおばあさんになった私たちを訪ねてきてね。だからあなたは今からこの子にデンマーク語を教えておいてね(笑)。」と言っていました。
晩ごはんはFさんお手製の、きのこと鶏肉の炒め物でした。
夜もCOEDO片手に話は尽きず・・・。翌日、私たちはコペンハーゲンへ、Tさんはオーフスへ、FさんLさんは早朝から車でベルギーへ旅行に行くため、この日の晩が全員で話ができる最後の時でした。いつまでもこんな夜が続いたらいいのになあと思いました。ほんとうはもう2~3日、ここでのんびりと過ごしたかったです。
FさんLさんは、桜が咲く時期に日本への旅行を考えているとのこと。夫が英語で、「そのときはよろこんで手助けするよ!」と頑張って伝えました。
はるばるここまで来て、このビールを飲むことになるとは・・・。
翌朝早朝4:00ごろ(!)FさんLさんはベルギーへ旅立っていきました。
外国でありながら、子連れでありながら、まるで日本でのいつもの生活のように平穏に、かつ楽しく過ごせたのはFさんLさんのおかげ。本当に感謝です!
0 件のコメント:
コメントを投稿