2012年7月4日水曜日

崖で愛を叫んだのち参戦するロスキレフェスティバル(Roskilde Festival)2012 5日目

5日目 2012年7月4日 シンダイル(Sindal)→ビンスレヴ(Bindslev)→シンダイル

5日目は、私がデンマーク滞在期間中のほとんどを過ごし、生活の基盤を置いた町、シンダイルとビンスレヴへ。

ちなみに、今、デンマークのどのあたりにいるかといいますと、このA地点です。私はデンマークの北のはてを拠点に、デンマークで4年3ヶ月過ごしていました。


前日、Aさんに車で送ってもらった場所は、シンダイルでお世話になったM家でした。シンダイルの町医者だったM家のお父さんと、看護師だったお母さんは、かつて赤十字の関係で諸外国で診療した経験もあり、外国人に対しての田舎特有の行き過ぎた閉鎖性もなく、私のつたないデンマーク語と英語で伝える日本の話をとても熱心に聞いて下さった人たちです。新聞やニュースを見て、私がどうにも理解できないことを、そのバックグラウンドから丁寧に教えてくださり、その上で私が持った意見や疑問についても、熱心に付き合ってくださった人たちです。

そんなM家のお父さんの車で、まずは銀行へ。デンマークに置きっぱなしにしていた口座を解約しました。2011年度のデンマークの確定申告も終わって、私の口座の入出金はなくなりましたし、私がデンマークに住むことはおそらくもうないので、思い切って口座を解約して、微々たる有り金をパーッと使ってきてしまおうと考えたのです。預けていたお金が現金になって戻ってきたとき、少し寂しかったですけれど。

銀行の近くにあるシンダイル駅。私はここから毎日オールボーまで片道1時間、電車に揺られて大学へ通いました。コペンハーゲンに行くときも、日本への一時帰国で空港に向かうときも、みんなここから(コペンハーゲンまでは片道6時間かかります・・・)。駅舎は現在、テナントとして売りに出されていますが、昔は駅の窓口が入っていました。私がまだデンマーク語があまり話せなかった頃、初めて列車の回数券を買うのに、ドキドキしながらこの駅舎に入り、なんとかして買えたとき、うれしすぎて泣いてしまったことを思い出します。


いったんM家にもどり、洗濯機を借りました。風になびくドアラがまぶしい。
しかしですね、M家の向こう側には畑が広がっていて、ときどき「肥」の香りが漂ってくるのですね。そして、洗濯物にもほんのり「肥」の香りがつくのですね。洗ったのか何なのか、よくわかんなくなってしまうのですね。北ユランの宿命と思って諦めていますが。


午後は、自転車で9km北にある、ビンスレヴ(Bindslev)に出発。自転車は、もともと私の愛車だったものを、M家に買い取ってもらったもの(自転車はデンマークでは高級品なのです。高い代わりに、とても丈夫。)。ひさびさの愛車で、ひさびさのサイクリングルートをこぎます。


サイクリングロードには、にくきトンネルがあります。ある日、トンネルに入る下り坂に氷が張っていて、私がその氷の上を自転車で滑ってしまい、転んで歯を3本折り、頭を打ち、手首を捻挫したトンネルです。その後、なぜか英語の通じない歯医者にかかることになり、私のデンマーク語力を猛烈にあげた、にくみきれないトンネルです。転ばないように、そーっとくぐります。


ちょうどティータイムに、ビンスレヴのN家に到着。N家は、私がビンスレヴ国民学校(公立の小・中学校)でインターンをしていたときにお世話になったホストファミリーです。当時小学2年生と6年生だった子どもたちは、もう中学生と高校生になっていました。


N家の裏庭には川が流れており、夏はここをカヌーがどんどん通っていきます。怪我をしたときは、ここの風景に助けられました。あのときはN家の皆さんも、いい意味で放っておいてくれました。


N家はかなり農業にウェイトを置いた兼業農家で、羊、にわとり、ミンクなど、いろいろな動物を飼っていました。タマゴもここから直接とってきて、料理に使っていました。


畑もやっていて、イチゴやマメ類の収穫は、学校の子ども達の夏のアルバイトになっていました。私もマメの収穫に参加しましたが、完全出来高制なのでなかなか厳しかったです。「収穫するかどうかを目で確かめると作業が遅くなる、手の感触で確かめなさい。」なんて言われて。


そういえば、語学学校では習うことはないであろう雑草のデンマーク語名や、「雑草を抜く」という単語や、「牛」という単語でも、「子牛」と「妊娠前の牝牛」と「妊娠後の牝牛」と「雄牛」にはそれぞれ違う単語があるということを教えてもらったのも、N家のみなさんだったなあ・・・。


N家のお父さん、お母さんと、昔うまく話せなかった分を取り戻すように、たくさんの話をしました。私がデンマークを去ってから、N家にはどんな出来事があって、今はそれぞれがどんな仕事をしていて、自家用風車の調子はどうで、息子達はどうしていて、私は今何をしていて、日本は今どうなっていて...と、話がつきませんでした。もともとN家は、みんな英語があまり得意ではなく、加えて、あまり外の世界に興味がない(外国どころかコペンハーゲンにすら興味がない)という家庭で、家で家族がまとまってうまくやっていればそれで幸せ、という雰囲気の家族でしたから、英語しか話せない(しかも、その英語もしどろもどろ)、はるか東の外国人を受け入れてホームステイさせる事自体、今思えば大冒険だったわけです。初めはお互いがうまくコミュニケーションをとれず、ギクシャクしたことも多々あったのですが、私がデンマーク語を覚えていくたびに、少しずつ深い話ができるようになっていきました。でも、半年のステイでは時間が足りなかったのです。


さて、N家にお別れをして、ビンスレヴの町の中心部へ。ここに、私がデンマークに滞在するきっかけとなった、ビンスレヴ国民学校があります。この日は夏休みだったので誰もいませんでした。ここでゲスト講師としてインターンをした1年間は、私の一生の宝です。


低学年の子どもたちと、休み時間はここでよく遊んでいました。彼らの臆することのないデンマーク語攻撃で、私のデンマーク語は相当鍛え上げられました。どうでもいい話ですが、ゲスト講師時代、日本の文化紹介ということで、雪の結晶の切り絵をみんなでたくさん作って、ここの校舎の窓に貼り付けたら、ルイ・ヴィトンのモノグラムみたいになりました。


さて、そろそろシンダイルへ帰ります。

ほんとうに、なにもありません。贅沢な景色です。


シンダイルのM家に戻って、夕食です。M家のお母さんがつくる夕食で、私がいちばん好きだった、新じゃがとゆでた野菜とビーフソースです。夕食の時間ですが、日が長いので外は昼間のように明るいです。


デンマークのイチゴ。小粒ながら、甘くて美味しい。


ごはんをすませて、庭を散歩しながらのんびり過ごしていたら、隣の家の猫が遊びに来ました。ちなみにこの猫、名前を "Killmouseky"といいます。キルマウスキー。ロシア(っぽい)のネズミ殺し、という意味なんだそうです。そのネーミングセンスに脱帽。


シンダイルの、のんびりした一日がすぎていきます。


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